2011-06-29

日本蛇舅母

帰宅して玄関ドアを閉めるやいなや、母屋のほうから靴音高らかに彼がやって来た。

蝶番を軋ませて開け放った玄関先から、自慢に満ちた声で私を呼ぶ。
返事はしたものの、ゴムベルトが汗でまとわりついて腕時計が意地悪した。

風通しの良さそうな容器(もの)を、そっと静かに両手で持ちながら、「今日さ、○○くんに貰ったんだよ」と彼は緑色した虫かごを見せる。
透明なプラスチックの開閉蓋の右上に、体長十五センチほどした爬虫類が格子にしがみついていた。

「貰ったって云うかねぇ、イモリと交換て云われたんだけどさ」と申し訳なさそうに私を伺い見る。
先達て、捕獲に成功した三匹のイモリに、すっかり情愛を寄せてしまったので、その週末、若手のトレード要員を探す事で交渉する様に云った。

早速、四十五センチほどのプラスチック容器に腐葉土を敷き詰め、庭に転がっていた石を重ねて隠れ家を作り、刺身用の小鉢に水を入れて設置した。

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彼は二三日も過ぎると、カナヘビに対する興味が、私が若い時分に経験した失恋の痛手のようにあっさりと消えてしまった。
それは、今回のカナヘビに限った事ではなく、ありとあらゆる、その時時で興味を抱いて持ち帰った生物に対しても同様の事だった。
おかげで、今後、将来的に、もし転職を考えた際に書くであろう、履歴書の趣味欄に「生き物の飼育と観察」と書き記す事が出来るくらいになってしまった。

云わば、彼が捕獲マニア、私が飼育マニア、と結果的にバランスが取れてしまった。

生き物を飼育する上で、一番厄介なのが生きた物しか食さない方々の餌の確保であって、今回仲間入りしたカナヘビ様も生き餌しか食さない部類だった。
彼に学校の帰り路、餌用にヒシバッタだのコオロギだのワラジムシなどを捕獲して来いと、毎日云って送り出すのだけれど、帰って聞いて見れば、決まって、あっーと叫び声を上げて、シマッタと云う顔を作るばかり。

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午刻、緑地公園などでプラスチック容器をぶら下げながら、額に汗して苔の生えた木っ端や石をひっくり返して、時折、頓狂な声をあげているあやしい中年を見かけたら、間違いなく、それは私だ。

2011-06-28

Poladroid

昨日の最高気温が十五度弱だったり、はたまた今日三十度超だったりな日々、この二日間で二ヶ月な気温変化と、水分を含んだ宙空を彷徨いながら、しんなりした日々を過ごしております。

いつもお邪魔させて頂いている先で 「poladroid」と云うソフトの事を知りました。
複数のJPEG画像を続けてドラッグ&ドロップすれば、仮想インスタントカメラで次々と撮影することができ、デスクトップ上にインスタント写真がどんどん排出される。デスクトップ上のインスタント写真はあくまでプレビュー用で、現像が完了すると同時に、変換後のJPEG画像があらかじめ指定したフォルダへ自動保存される仕組みだ。

窓の杜 - 【REVIEW】撮影音や現像過程もリアルに再現する仮想インスタントカメラ「Poladroid」
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変に絞ったりしたモノはソレっぽくならないので、ソレっぽくてソレらしい平べったいモノを素材にしたほうが良いみたいです。面白いです :)


※6月17日にアップした記事が忽然と姿を消してしまいました。スターを頂いた方々申し訳ありません。

2011-06-15

イモリは両生類 ヤモリは爬虫類 タモリは哺乳類

震災から三箇月経ったが、他所宅の状況が色々とわからないものだから、休みの日に、子供らが友達宅に遊びに行く事を止めている。

自ずと子供らは色々と余してしまい、油断していると、一日中うだうだとゲームばかりしてしまうものだから、陽のあるうちは出来るだけ表に出て自律神経をちくちく刺激して遊べ、と云った時点で、これ当然と球技遊びなどに散々付き合わされ、不器用な私は大人気無くはしゃいでしまって、二三日後に訪れる身体の痛みに後悔する事は既にわかりきっている。
いっその事、私のテストステロンのように、年年失われ続ける自然の中に連れ出したほうが、何かと都合が良いと思い立ち、子供らを自動車(くるま)に乗せて山深い地に向かった、先週土曜日の事。

じつのところ、二三年ぐらい前より、彼と捜し求めている水棲生物がある。
近場の田圃やら沼地などを探索しているのだが、未だにお目にかかれていないのが現状。

以前、直下に渓流を眺める緑地公園に行った際、甲虫類 *1 目当てに地面で息絶えている朽木を次次ひっくり返していたら、突然、赤腹の親分が尾っぽをちろりとさせて姿を見せた。彼と二人して頓狂な声を上げながら、あたふたしていたならば、赤腹の親分は落ち着き払った様子で草陰に姿を消した。

それからというもの、私は幼い頃の思い出探しに、彼は幼い頃の思い出作りに、この時期になると天気と時間が許す限り、赤腹の親分を捜し求めるようになった。決して惚れ薬の精製を試みようとしているわけではない。

結果、三匹の家族が増えることになった。名前はまだ無い。

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水槽容器の中で、悠悠閑閑としている様をぼんやりと眺めているだけで癒されるのだけれど、細君の眉皺寄る無言の訴えが厳しい今日この頃。


*1:カブトムシ、クワガタムシ、カミキリムシ等。

2011-06-14

そうやすやすと

最近、めっきり随筆の類しか読んでいない。

しかし、川上弘美、町田康、内田百聞、とはキングのベルウッドスペシャルコンボ *1 並であるななどと我ながら関心したりする。
そろそろ、結末でひょぉと唸る様な、急転直下な展開技法が優れた書籍を欲してきたので、そろり、本棚に並ぶ積読本を眺めて、やはり、ジェフリー・ディーヴァー先生、これ、ひとつお願いします、と読み始めるのだけれど、ある日を境にして、ひとまず置いておいて、繋げてみたり、膨らましたりして読むことが、未だに億劫になってしまっている。

もう少し、出来るだけ、やわらかめの書籍を読んでリハビリすることにしようと思った次第。



*1:「鉄拳6」3Dタイプ対戦型格闘ゲーム(ナムコ)。

2011-06-13

The Girl with the Dragon Tattoo

ハリウッドリメイク版の監督がD・フィンチャーで、ヒロインのリスベット役の候補がキャリー・マリガンとか... 名探偵カッレなミカエル役がダニエル・クレイグ!?
01 July 2010 wrote:「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」


先日、米国リメイク版(デビッド・フィンチャー監督)のポスターとトレイラーが発表されました。

オリジナル版の評価は高いようですが、ミカエル役のミカエル・ニクヴィストは、到底プレイボーイには見えなくて、終始残念感が漂いましたし、リスベット役(ノオミ・ラパス)にも、今ひとつ魅力を感じませんでした。作品も原作を忠実に表現しようとしたあまり、展開があわただしく感じ、非常に残念に思いました。

リメイク版は、天才ハッカー女調査員リスベット・サランデル役、ルーニー・マーラの過激なヌードポスターが話題になっているようですが、予告を観る限り、なんとなく期待できそうな感じです。
12月21日米国公開予定。日本では来年2月頃、劇場公開の予定とのことです。



予告編では、トレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ) FEAT. カレンO(ヤー・ヤー・ヤーズ) による、レッド・ツェッペリンのカバー曲「移民の歌」が使われたりするので、否が応にもキングコング・ニードロップ的に気分は高まります。

brody

2011-06-10

堕天使の旅路

自動車(くるま)を運転していて、すこしばかり油断していると、ケムシをうまいこと避けきれず、危うく轢きそうになること度度。

最近、頓に道路を横断するケムシが多い。完全変態に向けて、好みの草葉をたらふく食するため、餌(草)場を頻繁に移動するためなのだろう。ケムシは成虫になるため、これ即ち、くびれ(頭部・胸部・腹部)を拵えるためにウィーキングをしているということであって、二十代から三十代女性が、ウォーキングをはじめる半数以上の目的と同じことと思えなくもない。

ケムシが道路を横断する速度は、昔に比べると格段に速くなったように感じる。朝夕「はいっはいっはいっ」と拍子をとりながら、日課のウォーキングを勤しむ、近所のトクジロウさんのウォーキング速度並みであるように思えなくもない。

午刻、所用で自動車を運転していたら、ひたむきに青春を謳歌すべく、左から右に横断するケムシを見かける。その必死なケムシの様子を見ていたら、この頃、辛くあたる陽の光に熱せられたアスファルトが、この上なく熱いものだから、自然と早足になってしまう、ちょうど、暑い盛りに、海辺を目指して、不用意に太陽に熱せられた砂浜に足を踏み入れ、ポップコーンみたいに跳ねまわりながらも、爪先立ちで疾走する、そんな感じなのだろうか。ケムシの這い回る速度向上も、少なからず地球温暖化が影響しているかもしれない。けれども、そもそもムシに熱いだの冷たいだのを感じる、複雑な神経伝達回路は備わっているのだろうか。たぶん、生命を脅かすような危険を察知して、対応する感覚だけなのかもしれない。

────などと、ひとしきり考えていたら、生命に関わる事態を察知して、腹のムシがぐうと鳴った。

2011-06-09

屈折する陽光

六月に入る成り、これ非常に多忙となり、なんだかもう、気分的にも曇天の極み。
色々と書きたい事、多々あるのだけれど、あれこれと纏めきれずに、なんだかもう、下書き保存。

そんなこんなしていたら、会社のパソコンがうんともすんとも云わなくなる。
なんだかこれ、ハードディスクが寿命を全うしたらしく、潔い事この上なしと早々と諦め、以前(まえ)まで使用していたノート型パソコンを引っ張り出し、電源ボタンを押(い)れたなら、大きくしゅぅぅぅーと息を吐いた後、青い画面(かお)してうんともすんとも云わない。なんだかもう、滂沱の涙。

昨日、朝から、パソコンとマイクに向う、お偉方とのちくちくした会議が終わり、ひと安堵な昼休み。

自動車(くるま)の座椅子を押し倒し、靴を脱ぎ放ち、開け放った窓から右足を放り出して、熟成しているであろう香を放っていたならば、読書に集中できないぐらいに、外がやいのやいの喧しい。
もしや、濃縮した香ばしい小生の足香が原因の騒ぎではなかろうかと、少しばかり心配になり、ひょいと顔を上げて窓の外を窺い見た。
駐車場には、老若男女問わない従業員が、西の空、すなわち、小生の自動車のうえあたりを見上げている。卒倒している者が多数の様子ではなかったので、臭気、とりあえず安心。

皆が見上げる先、助手席側の窓に目を移して空を眺め上げれば、横に伸びる、荘重で優雅な姿態した虹が見て取れた。

めずらしい、はじめて見ただの、まあね、小生もそのような思いなのだけれど、やはり、ほら、放射能が影響して云々だとか、三ヶ月経った今だから、やはり、ほら、磁場の影響が云々だとか、云っている輩の声が聞こえはじめると、なんだか、段々とこちらの方の磁場が狂いだし、激昂。
こらこらこら、おまえら、悪戯に適当なことばかりのたまっている場合でないぞ、と自動車から降りていけば、おやおやおや、これはこれはマツダさん、どうもどうも、今日は著しく暑い日でやんすなあ、などと挨拶してみるも良し。

太陽光が屈折することで発生する「環水平アーク」と云う、珍しい現象らしいのだが、小生にしてみれば、老若男女な従業員皆が、横並びで、一様に同じ角度で携帯電話を空に向けてる様が、なんとも、ちゃんちゃら可笑しくて、態態、此方から眺めてほくそ笑んでた。

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────支離滅裂な駄文稚文申し訳ありません。

2011-06-07

amanogawa

茹だりながら仰いだ空には、その時期、雪の上に除雪車が残したキャタピラーの跡に良く似た形の雲が広がっていて、僅かばかり涼を感じるのですが、すぐに空はふやけて霞んでしまう今日この頃。油断していたら、すっかり今日は七月七日です。

細君と一緒に自動車で出かける際には、大概、佐藤竹善の曲が流れます、流されます。普段、一人の時には進んで聞く事はありませんが、佐藤竹善似のエディ・レジェンドがヴォーカルのMAD3(2009年解散)の楽曲は好んで聴いたりはします。

しかしながら、七月に入ると決まってインパネに無造作に投げ出された iPodをくるりくるりと操作して、会社帰りに聴いている佐藤竹善が歌うカバー曲 *1があります。月がとっても青いわけでもないのに遠回りして帰ることも多々あります。



置いてけぼりにしてしまった切れ切れの淡い若い時分の想い出に、色々とむせ返ったりもします。

2011-05-31

街は今日も雨さ

すっかり沈滞した重苦しい空を眺めていると、知らず知らずのうちに口ずさんでいる唄があります。
SION というアーティストの「街は今日も雨さ」という曲です。
SIONの曲は、歳を重ねて忘れかけている部分(あたり)を気圧変化に伴う鈍痛みたいに刺激してくれます。



街は 今日も 雨さ
びしょ濡れの 心の向こうに
標識が かすんでみえる
街は 今日も雨さ

十六の夜 家を出た
おふくろは 行くなと泣いた
知らない街で ポリバケツをかぶって
それでも笑っていたさ
怖いものなんて何も知らなかったから

とりあえずは 食うことさ
新聞の広告で 仕事を拾った
朝から晩まで 指紋がすりきれるほど
皿を洗いつづけて たったの三千二百円

つぶれかけた スナックの裏にある
かび臭い部屋 俺のねぐら
なにが都会の 気ままな暮らしだ
それどこじゃねぇ まったくそれどこじゃねぇ

日曜日の 昼間ともなれば
気が狂うほどの 忙しさで
俺は飯を 食うひまもなく
立ったまま 残飯をつついた

そんな くり返しの 毎日が
やたら俺を 弱気にさせた
立ってるだけで やっと この街で
いったい なにがつかめるんだい

久しぶりに おふくろに 電話をかける
雨降る街の 赤茶けた公衆電話から
おふくろは 静かな声で たったひと言
生きてなさい そう言った

街は 今日も 雨さ
びしょ濡れの 心の向こうに
標識が かすんでみえる
街は 今日も雨さ

今日が 昨日の くりかえしでも
明日が 今日の くりかえしでも


福山雅治がパーソナリティを勤める「魂のラジオ」というラジオ番組で歌ったカバー。

2011-05-30

巻雲靉靉として

あめこんこんふってるよ
あめこんこんやまないよ
あそびにいけない あめこんこんやんどくれ

保育所か小学校低学年の頃、今時期に歌わされた唄ですが、題名がわからずに外の天候みたいな気分です。
「~あそびにいけない~」部分のメロディラインに、いまだ漠然とした嫌な記憶が漂います。

例年より早い入梅の話が飛び交う今週末。
子供たちはすることがないと、すぐにゲームに向かってしまうので、チチはすることをなにかと考えます。
子供たちから話を聞くと、図画工作の時間に絵を描くことが、昔に比べると少なくなったような気がしました。
ちょうど、色鉛筆、クレヨン、水彩絵の具など救援物資に四セットほど頂いたものがありましたので、絵を描かせることにしました。
絵を描くことに飽きた後のことを考えて、チチは家の中でスタンプラリーや、宝物捜しをするための地図などを描きました。

そんなこんなしても、一日分の体力(ちから)を余してしまうので、「ごっこ」の相手をさせられます。もちろんチチは真剣に受けてたちます。
相手は主に彼女なのですが、週間少年ジャンプ連載中の漫画がごった煮されたような戦い「ごっこ」です。

「ごっこ」には暗黙の了解があります。
  • ここぞとばかりに繰り出す必殺技から(特別なこと* が無い限り)逃げたり避けたりしてはならない。
  • 必殺技を発動する場合は、事前に技名を高らかに叫ばなければならない。また、必殺技をより効果的にするために技名を残響させることが望ましい。
  • 前項、必殺技発動の準備段階で無闇に攻撃したり、話しかけたりしてはならない。
  • 必殺技が放たれた場合の動作は、攻撃側および受け側ともにスローモーションでなければならない。
  • 必殺技を受けた側は、通常攻撃の最低三倍以上のダメージを負ったフリ(特別なこと* が無い限り)をしなければならない。

* "特別なこと" とは-
        • その行為によって より前向きな進展が期待される、または進展があると判断した場合。
        • "特別なこと"を実施する場合、受けて側が能動的に判断して行動しなければならない。

暗黙の了解を破ると、あることないことをママに言いつけられたりするので注意が必要です。

彼女の必殺技は「ジンバブエ」というパンチです。「じんばぶえぇぇぇーっ」と叫びながら放たれます。
「テルアビブ」という必殺キックもありますが、繰り出す頻度はやや控えめな感じです。
この週末、必殺パンチ「ジンバブエ」は、「シシカバブー」というダブルパンチに進化を遂げました。
受け手は後方にでんぐり返しを二回しなければなりません。さあ大変。

同じ歳だった頃の彼の必殺技は、「ペネロペ・クルス」というパンチ技でした。
「ペ・ネ・ロ・ペぇー(ぐっと溜める)... (吐き出す感じで)ク・ルぅぅーーースぅっ」と叫びながら放たれます。思えば「かめはめ波」的な感じです。

子供たちにとって、海外の都市名や料理名、はたまた女優の名前は、必殺技として耳新しいようです。

2011-05-28

あらし

おとつい、「明日、嵐が来るらしい」という話を耳にしたので、家に帰ってからそそくさと家の周りの鉢植えなどを片付けて、テレビもろくすっぽ観ずに枕を高くして寝た。

翌朝、刷けた雲がゆっくりと流れる薄い天色した空と、テレビの天気予報図のずいぶんと左下の台風を見ながら、ここいらでやっと「嵐は?」などと気づく。私にとっては All Ways のことだ。

なんでも、嵐というグループに所属しているサクライくんとニノミヤくんという女子たちに絶大なる人気を誇る若者が避難所に来るらしいとのことようだ。らしい。

芸能人や各界の著名人が避難所に訪れる場合、噂は先行して広まるのだが、当然のことながら訪問する時間までは流れることはない。
噂を耳にして興味を持った人たちの想像に委ねられる範疇となる。
まことしやかなに広まった噂なのだが、避難所外の駐車場は県外の車も混じるほどの人だかりだったとか。

市営体育館が避難所となっているので、それなりのオープンスペースと駐車場は確保されている。とはいえ、早いうちからわーきゃーされたら、避難者の方々は表に出るに出られなくなってしまう。一体、何からの避難所なのだということになる。

結局、他所にNEWS ZEROの取材にニノミヤくんが来たことは事実らしい。
事前にわかっていたのであれば、関係者は正しい情報を伝えるべきだったのではなかろうか。少なくとも避難所への訪問はないという情報。

あちこちで情報は余震のように揺れている。
正しいとされる情報も脆く崩れ続けている。

2011-05-27

いのちなき砂のかなしさよ

沢木耕太郎著作の「人の砂漠」を読んでいます。

約30年前、20代半ばの著者による濃厚なルポルタージュです。
かけ離れた日常世界、タブーな部分に踏み込んだ作品です。
一体のミイラと英語まじりの奇妙なノートを残して、ひとりの老女が餓死した―老女の隠された過去を追って、人の生き方を見つめた「おばあさんが死んだ」、元売春婦たちの養護施設に取材した「棄てられた女たちのユートピア」をはじめ、ルポルタージュ全8編。陽の当たらない場所で人知れず生きる人々や人生の敗残者たちを、ニュージャーナリズムの若き担い手が暖かく描き出す。
全八編のうち、「棄てられた女たちのユートピア」の章で印象に残った内容。

かにた婦人の村 施設長 深津文雄(牧師)へのインタビュー (一部抜粋)

『腹に貯めても倉に貯めるなというのが、この村を律する倫理なのですね?』
『そう、そして社会の悪の根源はそこにあると思う。誰でも腹一杯食う権利はあるんだ。食うだけならこの世はうまくいく。倉に貯めようとする奴が出てくるから、世の中がうまくいかなくなる。強い者と弱い者がはっきりしてくるからだ。強者の論理が弱者を蹴散らす。弱者はいったいどうしたらいいのだ。ぼくは、強い者がちの社会を否定する────(略)────でも、いくら教会が空理空論をもてあそんでも世の中は一向に変わらないんだ。人を批判する暇があったら、自分も泥水につかって実践すればいい。必要な事はイエス的な世界を現世に作る事だ。ぼくはイエスだったらどうするだろう・・・・・と考えながら、この村を運用してきた。死んだ赤岩栄が「イエスは私だ」といった。正しいと思う。「私はイエスだ」といえばおかしいが、「イエスは私だ」と思って実践することは必要なのだ』
『教条主義というのは、ある人が経験した事実を、今度は自分が経験せずに真実だと主張することだ。イエスの言葉が真実だと叫ぶ事が重要なのでなく、イエスの言葉でいかに死んでしまったも同然の人を生きかえらすか、が問題なのだ』

( 参考:婦人保護長期収容施設 かにた婦人の村

この日本が、世界にも珍しい「売春天国」と言われた頃、これではいけない…と立ち上がったのは、クリスチャンの女性でした。その80年におよぶ運動のすえ、やっと「売春防止法」が成立した時、深津文雄牧師は一人の奉仕女を連れて厚生大臣をたずね、コロニーの必要を説いたのです。
それは、ひとりの人間が、苦しみの海に身を沈めるからには、ただ貧しいだけではあるまい、それに先立つ障害があるのではないか…と思ったからです。
果たせるかな、彼女たちの大部分は、何らかの意味で知・情・意に障害をもつ、不運な人々でした。そうした、簡単には社会復帰のできそうもない人々のために、法律には書かれていない「長期収容」と特記された婦人保護施設が、日本で初めて、館山の会郡砲台跡に生まれたのです。

昨年2010年に映画化されていることを知りました。
30年前に20代だった著者の原作を、現在(いま)、同年代の東京芸術大学映像研究科の学生が映像化したとのこと。
個性派なキャスト陣にも惹かれるので、レンタル店をハシゴしてみることにします。



2011-05-25

鳴き砂

海沿いを車で30分ほど南下したところに大槌町というところがあります。

海に面した場所なので、今回の震災により壊滅的な被害を受けました。
大槌町には「吉里吉里(きりきり)」という地区があります。
80年頃、ベストセラーとなった 故・井上ひさしの著作「吉里吉里人」にあやかり *1 、町おこしの一環に「吉里吉里国」と独立宣言して、全国的に知られたところでもあります。(他、「天才たけしの元気が出るテレビ」の元気ハウスも一時ありました)
「吉里吉里」という名の由来は、海岸の砂浜を歩くと、砂が軋んで「きりきり」と聞こえたことだとか。昔は「鳴き砂」だったことがうかがえますが、現在(震災前)では普通の砂です。

宮城県気仙沼市に「九九鳴き浜」と「十八鳴浜」という、「鳴き砂」で有名な海岸があります。
「鳴き砂」は、不純物が混ざったり、水質汚濁すると鳴かなくなることから、健全な自然環境が保たれているかのバロメーターとも言われているらしいです。
今回の震災による津波の被害を心配していましたが、昨日、twitterで「九九鳴浜も十八鳴浜も砂が鳴いてくれるらしい。まだがれきがいっぱいらしいけど、元の海に戻りそうでよかった。」と、ぽんこさんのツイートを見て安心しました。

ずいぶん昔、入社したての頃だと記憶しています。
(当時)会社の先輩と吉里吉里地区を車で通ったときのことです。
「吉里吉里の伝統芸能を知ってるか」
「あ、いえ、知りませんけど」
「おいおい、お前、社会人として恥ずかしいことだぞ」
「え、はあ、『虎舞(とらまい)』とかですか」
「『虎舞』は、どちらかと言えば、釜石(市)寄りの伝統芸能だな」
「はあ、なるほど」
「吉里吉里には、古くから継承されている『きりきり舞い』という演舞があるんだ」
「はあ、『きりきり舞い』ですか」
「覚えておいて損することは無いぞ」
「なんだか、あわただしそうな、あたふたしてそうな舞ですね」
「ああ、そんな感じの舞だな」
「見たことあるんですか」
「ああ、ニ度ほどな」
「さすがに、両手に錐(きり)を持って演舞するわけじゃないですよね」
「ああ、じゃないな、さすがに」
「見たことあるんですね」
「ああ、二度ほどな」
しばらくして、その先輩は問題をひとり背負い込む性格がたたり、てんてこ舞いになって会社を辞めてしまいました。

十年ほど経って、取引先と打ち合わせがあったときのことです。
担当の方(結構年配)が、吉里吉里在住だと聞いて、話の種に『きりきり舞い』の話題(こと)を持ち出したら、呼吸困難になるぐらいに笑われてしまいました。
そんなことをぼんやりと思い出しました。

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*1:小説の中では、宮城県・岩手県の県境付近にある架空の村と設定されているらしい。

2011-05-22

知恵熱

寥寥とした更地を掻き分けるように通る一本道を自動車で走っている。

所所に、人たちの生活が瓦礫となって、盛り塩のように積み上げられている。
助手席(となり)には、小学四年生当時、これといって特段そのような魅力があったわけではなかったが、クラスから絶大な人気があったマサヒサくんが薄く座っている。

床から生えたアクセルを踏んで、ただただ真っ直ぐに北へ向かっていると、外の景色がぐらりたわんでひしゃげた。
自動車を道のなるたけ端に寄せて停めると、地面がぐらりぐらり揺れているので、すぐに地震だと知った。

記憶に新しい経験(こと)から、マサヒサくんに「もう、すぐに、津波が押し寄せてくるだろうから、高台に逃げましょう」と目をやった向こうに、空に二十メートルぐらい伸びた、一辺が三メートルほどの角柱が見える。こちらに向いた面には、縄梯子が左から右にひょうひょうと心細く揺れていて、天辺に赤赤と小さく神社が建っている。走れば三分の距離の様子だ。

「さあ早く、津波が来ます、さあ早く」と自動車のドアを開ける。
「いえいえ、ボクはここにこうしていることにしますよ」とマサヒサくんは云う。
「どうして、どうして、さあ、さあ」と急かすと、「ボクは高所恐怖症で、おまけに泳げないカナヅチだから、こうしていますよ」さも落ち着き払った様で云う。
「いや、いや、大丈夫です、大丈夫です、私が手を引くので、あなたは目をつぶっていればいい、さあ、早く早く」と助手席へまわりドアを開けて、マサヒサくんの左腕をむんずと掴んで外へ引っ張る。足元で水の音を聞いた。
「だって、ボクは高所恐怖症で泳げないカナヅチなのですよ」と辟易しながらも、左足首まで水に浸した。

ゆらりゆらり蠢いている地面をばしゃばしゃ音を立てて進んでゆくと、「ササキさんの首のところに、金属クリップが生えていますよ」半歩後ろでマサヒサくんが、平坦な口調で云う。咄嗟に右手を襟足あたりから下に滑らせた先、ちょうど背骨がぽこりと隆起したところに、吹き出物であるようなイボであるようなモノに指先が当たった。人差し指でそっと触れると、身体とつながったところがすぼまっていて5mm球体ぐらいのぐすべりの実みたいなモノが、ぐらぐらと揺れている感じだった。痛みや不快感はなかったのだけれど、マサヒサくんが「金属クリップ」と云うのでこれ、すら恐ろしい心持ちになった。

「これ、ですか」と云うと、「それです、それ」「引っ張ってみましょうかね、とりあえず」とつまみ上げたことを感じた。
「えっ」と振り向こうとしたら、いつの間にか赤橙色したぴたぴたした全身スーツを身に着けている。若干肌色が透けて見えた。恥ずかしくなりだして、とりあえず、両手で股間を覆った。
「じゃ、いきますよ」。
マサヒサくんは、つまんだ金属クリップを引っ張った、みたいに感じた。
背中を金属クリップが繋いでいるらしい感覚。
その継ぎ目に沿って、勢いよくタテに裂けて、尻の割れ目の始まりのところで止った、みたいに感じた。
「むきだしですよ、ササキさん、なんだか、むきだしです」。
むきだしになったらしい微微細細な神経のありとあらゆる部位が、しだいにちくちくと痛み出し、関節のフシブシはぎしぎしだした。

ゆらりゆらりしていた地面はぐらりぐらり大きく揺れはじめる────


────「オーズだよ、オーズ」と彼女に身体をぐらりぐらり揺すられて目を覚ました、日曜の朝八時。
「さっき、うーんうーん、唸って(寝て)たよ、パパ」
ふふんと鼻を鳴らして彼女は笑った。

子供らと球技遊びなどに精を出した結果の表れか、昨日の今日で筋肉が痛み出すなどまだまだ若い身体じゃないか、などと思ってはみたものの、なかなかどうして若いらしい身体はまったくもって云う事を利かずに、関節のフシブシが不平不満をもらした。

細君と彼女が買い物に出かけ、彼がゲーム機のコントローラーを差し出すも、それを丁寧に断ってソファの上にごろりと力尽きた。
意識の水面で漂っていると、身体に入り込んだそれがしが、見る間に滲出しだしたらしく、ますますもって身体中が悲鳴を上げはじめる。
セキ、クシャミ、ハナミズ、ノドの痛みなどの諸症状は無く、発熱とそれによる関節の痛みなど。
取り急ぎ、被害状況を確認するためにと、わきの下にはさんだものが示した数値は、みごとにK点越えを記録したのを目にして、とりあえず、置き薬を飲んで床にひれふした、日曜の昼十二時。

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結局、月曜は仕事を休み、布団の中でごろごろしていたのだけれど、いい加減ごろごろすることにも飽きて布団から抜け出し、腹から冷蔵庫が啼くような音を聞いて台所に向かうことにした。
冷蔵庫を開けて、手っ取り早く小腹を満たしてくれるであろう、五本パックものを探しあてる。

するすると一本引き抜き、ソファーに座って、赤い包装袋の開封口を勢いよく太ももに押し当てると中身が飛び出す。
中身を左手に持って、赤橙色した包装フィルムがケーシングされた金属クリップの根元を左犬歯ですこし噛み切る。
そのまま犬歯で金属クリップをくわえて、継ぎ目に沿って下(タテ)に裂く。
包装フィルムを左右に剥くと、肌色した中身はむきだしになって、ぷらぷらとおぼつかぬ様で揺れ動く。
足元で老猫がせわしくなくので、咀嚼したものを与えながら、ふたりして魚肉ソーセージをむしゃむしゃ食べた。

三本食べ終えて、魚肉ソーセージを食するための包装フィルムを剥ぎ取る作法は、ちょっとした私の特技だな、などと考えているうちに夕刻までどっぷりと寝てしまった。


今週のお題は「私のちょっとした特技」です。

2011-05-20

You talkin’ to me ?

ニッサンのバネットという自動車が、ニューヨーク市のイエローキャブに選ばれたらしいです。
日産自動車は5月4日、米国ニューヨーク市のタクシーに、同社のバン「NV200」をベースとした専用車両が選ばれたと発表した。2013年後半から導入が始まり、1万3000台全車が同車になり、10年間使用される。

「イエローキャブ」の通称で知られる同市のタクシーは、2007年から次世代型を検討する「タクシー・オブ・トゥモロー」プロジェクトを開始。2009年12月に自動車メーカーからの提案を募集した。最終選考には日産と米国フォード・モーター、トルコのカルサン・オートモーティブが残り、最終的に日産が選ばれた。

日産「NV200」がNYの次世代“イエローキャブ”に」より一部抜粋

ニューヨーク市街には、「Don't HONK(警笛禁止)」「$350 PENALTY(罰金 $350)」と標識が掲げられている場所があるらしいです。
それほど街にはクラクションが溢れていて、不快に思ったりストレスを感じたりする人が大勢いるということなのでしょうね。
ちなみにバネットはそのあたりも対策してあるみたい。
クラクションは車外灯と連動することで音量を抑え、騒音低減を図っている
日産「NV200」がNYの次世代“イエローキャブ”に」より一部抜粋

ニューヨーク市長(マイケル・ブルームバーグ)は、クラクションの音自体を「角の取れた音」に変更することを検討しているとか。
俄然興味が湧いてきますね「角の取れた音」。
ニューヨークの街並みに溶け込むような「角の取れた音」を咄嗟にイメージなどできませんが、ぽわわあああんだとか、みゅにゃにゃにゃあんだとか、ぴゅるるるうんみたいな感じでしょうか。考え出すと興が尽きませんね、どってこどってこと宮澤賢治みたいな音とか。

それはそれで、色々と様々な環境に良い話題(こと)なのですが、ちょっと心配になってくることがあります。
映画『レイジング・ブル』『グッドフェローズ』などの傑作を物にしたマーティン・スコセッシ監督の次回作が、代表作の映画『タクシードライバー』のリメイク作品となる可能性が出てきたとScreenDailyが報じている。同作は、『タクシードライバー』をまったく違った五つの方法でリメイクした作品になる予定で、デンマークのラース・フォン・トリアー監督が参加するとみられている。

マーティン・スコセッシ、『タクシードライバー』のリメイクを発表より一部抜粋」

タクシーが背の高い日本製のバンで、クラクションがどってんぽろろんみたいな音だったりするだけで、まったく違った作品になってしまいますね。炭酸の抜けたウィルキンソン社製ジンジャーエールみたいな。

 

ラース・フォン・トリアー監督は、ずいぶん昔にワウワウ(カタカナ表記にするとWOWOWも違ったものに見えますね)で放映した「キングダム *1」を観たとき、尻小玉を引き抜かれてしまったので、なんともこれ期待しているのですが。

 



*1:後にスティーヴン・キングがリメイクした「キングダム・ホスピタル」は正にまったく違った作品でした。

2011-05-19

マツダさん

マツダさんは、品質管理部という部署の部長で、すこし以前(まえ)まで上司だった。

マツダさんは、取引先などからのしちめんどくさい電話には、「どうも」のイントネーションを使い分けて対応した。
「はい、お電話かわりました、マツダです」
「ああー、これはこれは、どうも、どうも」
「ええ、はい、それが どうも ですね...」
「はい、そうしているのですが、どうも...」
「ええ、どうも そのようなんですよ、なんだか どうも...」
「はい、そうしたいところなのですが、まったく どうも...」
「ええ、わかりました、それでは、はい、どうも、どうもお...」がちゃり。
前座をそつなくこなす老練なプロレスラーのような、どうもマスターだ。

マツダさんが、年頭行事として楽しみにしていることがあった。
毎年、マツダさんには、取引先から結構な量の年賀状が会社に届いた。
ある取引先は、マツダさんの部署名を数年来「寝室管理部」と記していた。
その年賀状を眺めながら、毎年決まって「東北訛りで入力しちゃうところに、郷土愛を感じるよなぁ」などと言い、「出来ることなら、年中、寝室を管理したいよなぁ」とうしゃしゃ笑う。
そんなマツダさんは、客先の外注管理課の担当者に宛てたメールに害虫管理課、在庫を雑魚などと記す、豪快な一面を持った人でもあった。

マツダさんと、先日、休憩時間に自動販売機の前で立ち話をした。
マツダさんは口の右端に煙草を咥えて、100円硬貨を投入すると「叩け、叩け、叩けぇぇー」と口ずさみながらボタンを押した後、缶コーヒーを取り出して見せると、「あ、どうも、微糖(尾藤)イサオです」と紫煙の奥で鷹揚に笑って言った。
老練などうもマスターは、そのスタンスを変えることなく現役な様子だった。

マツダさんは、缶コーヒーでひとつ喉を鳴らし、所在なげに足元に目を落とした。
「こうさ、暖かくなってくると、蟻の巣をいじめたくなるね、まったく どうも」
唐突に切り出しはじめるので、あわてて「ああ、そうですか」と辻斬りにでもあったみたいに答えた。
「ちっちゃい頃にさ、バクチクを蟻の巣穴に入れて爆破したことない?」
「ええ、ありますね」
「そうするとさ、蟻がわあわあわあわあ巣穴から這い出すよね、その光景を思い浮かべると、郷ひろみが歌ってた、あーちちあちっ(たぶんGOLDFINGER’99のこと)て曲が頭の中で自然と流れるよな」
「流れるんですか」
「マチュピチュって聞くと、「コンドルは飛んでゆく」が否応なしに自然と頭の中で流れるみたいなさ」
「否応なしにですか」
「そういえば、あーちちの元歌(原曲)歌ってた外人って、」
「あー、ええ、」
「自分はゲイですって、カミングスーンしたんだよな」
「カミングスーンですか」
「ワムの片割れもだよな、たしか」
「さすがにそれは、もうすぐ公開ってことじゃないですよね」
「やっぱり多いのかね、その業界ってさ」
「ヴィダルサ・スーンじゃなくて、正しくはヴィダル・サスーンなんですよね」
「えっ、オレ、今なん言(て)った?」
「カミングアウトのことですか」
「ああ、そうそうカミングアウトな、やっぱり多いのかね、その業界ってさ」
「多いんでしょうかね、どうもわかりませんね、どうも」


今週のお題は「大人になったと感じたとき」です。

2011-05-18

枯れる

どんなに膝を折り畳んでみたところで、膝小僧がハンドルをいたずらするようになりだして、いよいよもって、兄のお下がりの自転車の終焉が見えはじめた幼い頃。

母親に訴えるも、必死で土俵際で踏みとどまって見せるばかり。
仕様がなく、自身の身体よりはるかに大きい母親の自転車に跨って、タチコギで乗りはじめる。

近所のケンちゃんのお母さんに「サーカスに入れるんじゃない」なんて言われて、自慢げにペダルを漕ぎ出した先は 80cmほど落ち窪んだドブ川。
左半身どっぷりと泥に浸かって、泣きながら家に帰ると、ちょうど学校から帰ってきた兄が「あしゅら男爵みてぇーっ!」と腹を抱えて笑うものだから、ことさら大きな声で泣いたら、次の日ぴかぴかの自転車が届いた。

ぴかぴかの自転車に跨ると、地の果てまで走って行けるような衝動に駆られた。
その晩、母親が消防団の人達に、深々と何度も何度も繰り返し頭を下げていたことは、なんとなく記憶(おぼ)えている。

何度か躓くも、無事に自動車運転免許証と自動車(くるま)を手に入れた、たけた青年になりかけの頃。

残念ながら、自動車はぴかぴかではなかったけれど、出来るだけぴかぴかにして乗った。
フロントガラスの先に広がる景色は、いつもぴかぴかしていて地の果てまで走って行けるような衝動に駆られた。
気分は地の果てアルジェリアにアクセルを踏み込むも、ガソリンのエンプティランプが灯る現実に連れ戻された。

ガソリンを求めて走る道すがら、やたらと乱立していたり、点在していたり、はたまた落ちぶれて朽ち果てているガソリンスタンドを目にする。

地中深いところには、ガソリンがどろどろ湧き出していて、そうした場所(うえ)にガソリンスタンドを建てて商売をはじめる。地中のガソリンが豊富な場所にはガソリンスタンドが競って建ち並び、そうでもないところでは早い者勝ちで建てる、そうして地中のガソリンが枯れるともにガソリンスタンドは終焉を迎えるのだろう、などと、ガソリンの匂いがたゆたう漂う車の中で真剣に考えた。

ほどなくすると、円柱容器を後生大事に背負った節足動物みたいな巨きな車が乗り入れて来る。頭を器用に折り曲げて、ガソリンスタンドの出来るだけ隅のほうに申し訳なさそうに停まった。大儀そうに運転手が降りた。コンクリで固めた地面の蓋を開けて、巨きな車に備え付けられたホースを手繰り、「shall we ダンス?」と抱き寄せて地面に差し入れた。

トランペットのマウスピースから漏れたような声高の従業員が、薄青色した紙きれを風にぴらぴらさせて運転席側に立った。
小銭を集めるふりなどしながら、さも興味無さげな様を装って「あれは?」と短く聞いた。
寒空の下、腕まくりしている裾をさらに引き上げながら、「地下タンクへガソリンを補給しているアレのことですか?」と不自然な瞬きを数回見せた。
浅はか甚だしく無知なこと極まりない考え事は、容易く「アレのこと」として片付けられた。
「・・・はい、すみません、普段は早朝か、閉店後に済ませてしまうのですが、今日はこんな時間になってしまいました」と「アレのこと」に「ソレのこと」を補足するようにスタッカートぎみに続けた。

私は「ぁぁ、なるほどなるほど、ね」と小銭をつまんで、爪の間まで真っ黒な手に載せた。


今週のお題は「大人になったと感じたとき」です。

2011-05-17

句読点の妙

この間、ひとつ歳を塗り重ねた晩のこと。

マジックインキで家族の連名が記された、図書カード5枚収まった包みがパソコンのキーボードの上に鎮座ましましていた。

「センセイの鞄」を読み終えてから、のどぼとけあたりにずっと引っかかったままだった川上弘美と、小川洋子の著作をなんら迷うことなく、翌日、数冊手にした。

二冊とも適度な文量だったこともあってか、立て続けにするすると昼休みのチャイムを四度聞くうちに読み終えた。なんだかずるずるな気分に陥ってしまったのだけれど、床についてから「冬の夢」を読んで、リトマス試験紙が青く呈色する感じで、むしろ心地良かった。

心置きなく、今晩にでもオルガ・キュリレンコを眺めようと思う。

 


昨日、微妙な位置に穴の開いた、最後の図書カードで手にした内田百間。

2011-05-16

Sundays and Goldfish

去年、日差しがじりりとしてきた時分、彼がドジョウを家に連れて帰ってきた。

さてさてどうしたものかと、急いで45cmの樹脂製水槽に水を入れて、一日寝かして飼育することにした。
ちょうど、点いていたカートゥン・ネットワークを観て、その容姿風貌から「レッグガー」とお父さんは密かに命名した。
レッグガーは食欲旺盛で見る間に二倍ぐらいに成長した。

震災の一週間ぐらい前に、レッグガーは水槽容器の中から忽然と姿を消した。
水槽まわりを隈なく探索したが見あたらない。掃除機の音にも もはや反応しなくなった22歳の老猫が、100cm頭上の動く生物に興味を抱くはずはないし、それ以前に飛び上がることは出来ない。
いまだレッグガーは行方不明。
エアポンプが、ため息みたいにぶくぶくとあぶくを吐き出して、水面をただただ揺らす水槽がひとつ。

余震もだいぶ落ち着いた昨日、日曜日。
彼と彼女を連れて近所のペットショップに出かけた。
ゲージの中で、これ見よがしにお腹を見せながら、ごろごろ転がる黒い子猫に、彼女がきゃきゃっと声をあげて夢中になっているのを横目に、彼と金魚の水槽前で腕組しながら、ヒレの形が綺麗なコメットと、愛想のよさそうな顔した丹頂を二匹選んだ。
レジスターの後ろに、「133cm」とマジックインキでマーキングしてある柱を目にして、あえてオーナーと込み入った話は避けた。

IMG_0196

彼と彼女が、名前決めに白熱した議論を繰り返す中、お父さんはスタスキー(コメット)&ハッチ(丹頂)と命名した。赤いグラントリノがほしいところ。

2011-05-14

男の子ってのはね・・・ 誰だって1回は「地上最強」てのを目指すのさ・・・

ジャッキー・チェンの代表作に「ドランクモンキー 酔拳(1979年公開)」という作品があります。
劇中、ジャッキー・チェン演じる主人公に「酔拳」を教えた、酔っ払い老師「蘇乞児」の若き日の活躍を描いた作品「トゥルー・レジェンド(原題)」が、6月25日(土)より全国順次公開されるらしいです。
「ドランクモンキー~」と同じ監督で、「マトリックス」「キル・ビル」で武術指導をしたユエン・ウーピン。

 

 

いまだに、コンビニで週間少年チャンピオンを手にとって、「範馬刃牙」 を立ち読みしている、大厄を迎えたオヤジには心躍る作品です。

連載当初から、なんとなく匂ってましたが、最近の「範馬刃牙」はカルト漫画「地上最強の男 竜(風忍)」みたいになってきたと、とみに感じます。

 1 2

2011-05-12

トキさんがいなければ「崖の上のポニョ」は成り立たないと思います

ユラユラと Youtube をさまよっていたら、なんとなく UAにたどり着きました。

みんなのうた(NHK)の「PoPo Loouise」が一番好きです。



「傘がない」。
井上陽水さん、ごめんなさい、このカバーは良すぎます。



「ペピン(AJICO)」。
ベンジーさん、ごめんなさい、このブランキーのセルフカバーは良すぎます。




じつのところ、一番のお目当ては、後ろのほうでユラユラとアップライトベースを弾いている TOKIE さんだったりします。

TOKIEさんは、中村達也(Dr)のソロプロジェクト LOSALIOS(ロザリオス)でベース弾いていたり、



中村達也とともに、布袋寅泰と競演していたり、



特別結成バンド(ギターはdetoroit 7 菜花知美だったり)で、矢沢永吉と競演してたり、



2006年頃から unkie(アンキー) というバンドをメインに活動している、そんな TOKIEさんです。



2mぐらいの高さから、メディシンボールを容赦なく落とされたように、腹に効く(聴く)感じが心地よいです。

女性ベーシストでは、シェフ・ベックのツアーに弱冠23歳で参加していた、タル嬢(Tal Wilkenfeld)のファンでもあります。

私は昔から、華奢な体でありながら、大きなモノを体の一部のように器用に扱う女性に心惹かれてしまう傾向にあるようです。
楽器に限らず、40mm以上の腕時計を小粋に装着(つけ)ているだけで、恋愛感情が芽生えてしまいます。

大厄らしいのです

たぶん、あの頃に外装部分を振動やたわみに強く、加工もし易いスティールのものに変えたのだと記憶してます。
素地の耐久性を考え、下地処理を念入りに施して、歯磨き粉みたいな真白い色をムラにならないように塗り重ねました。
一年ごとに色を塗り直して耐久性を維持するのですが、大きなゴミが付着してたり、稀に腐食のために穴が開いていたりするので、丹念に下地調整を行います。
同じ色を塗り重ねているはずなのに、年ごとに濃淡が目立っているのに気づきます。立ち位置、考え方、さじ加減、方向性など段階的変化。

未曾有の震災から、ちょうど二ヶ月経った今日、無事にひとつ歳をとりました。
誕生日を一日間違えたであろう心の友に、「大厄」だということを教えてもらいました。ありがとうございました :)

今朝出勤したら、机の上に小さな包みが届いてました。
何度か「グレート・ギャツビー」に手を伸ばしては、その前に読んでおきたいと思っていた本です。和田誠の装幀で箱入り、頁をめくるのも勿体無い感じです。
西の恋人からの誕生日プレゼントでした。いつも色々とありがとうございます。テヘッ

大厄の年齢では肉体的にも体力の低下や反射神経の鈍化など、衰退が顕著になる時期でもあり、医師の診察を受けた際に体調不良を訴えやすいともいう。健康管理などの面でも注意が要される年頃でもあるともいう。
厄年 - Wikipedia

生まれて初めて点滴をぶら下げれるんじゃないかと期待するぐらいの心構えで、勇猛精進する所存で御座います。ハイ

2011-05-11

狂乱のハッピーの後 カーブを曲がりきって

「コブラ」、と言っても、キャロル・シェルビーが、ACエースのボディに 7ℓのV8を搭載(つん)だ今やコレクターズアイテムと化した車ではありませんし、元祖日本の oiパンクバンドでもありません。80年代に少年ジャンプで連載していた漫画の「コブラ(寺沢武一)」のことです。

昨年夏頃に「ヒルズ・ハブ・アイズ」「ピラニア 3D」の アレクサンドル・アジャ監督での実写化 のことを目にしていましたが、今回、実写映画化のテストイメージを見て、まさにハイテンションなわけです。

 cobra1

左手に仕込んであるサイコガンがちょっと大きいので銃身がスライドして伸びるのだろうかとか、漫画の第一部は「トータル・リコール」っぽいのでどうするんだろうとか、クリスタルボーイはやはりCGなのだろうかとか、今からいらぬ心配したりするのですが、日本語吹き替えの場合、故・野沢那智じゃないことが一番残念なことだったりします。2013年公開予定らしいので期待したいと思います。

実写「AKIRA」の 金田役にキアヌ・リーブスという話題 も正直不安なところです。


────ドンペリ あの娘と踊りたいだけ

2011-05-10

Cherish The Day

一応、4月29日から5月5日まで連休でしたが、何年か振りに何も予定のない黄金週間を過ごしました。

細君は、鍵盤を抱えて避難所をまわって復興活動のお手伝いだったので、その様子を子供らとブラウン管の外で眺めていたのが、連休前半唯一の記憶。

5月2日は、暦は平日だったので子供らは学校へ、細君は次のイベントのためにマックの前で鍵盤と格闘していたので、山へ芝刈りにでもと思いましたが、天皇、皇后両陛下が、近所の避難所を訪れるらしいとのことだったので、色々と自己自粛することに(結果的に強風のため5月6日になりましたが)。

結局、クロネコさんが届けてくれた本と、映画DVDのお世話になりました。
毛羽立った麻縄が縺れ合うような繋がりのある短編集でした。
読了後は、半熟卵を冷水に入れずに殻を剥こうとしたら、白身ごとゴソリと剥けてしまって、特有の匂いと小さくなるばかりの卵に苛々していたら、薄い白身の部分からドロリと黄身が出てきてしまった感じになりました。
これから小川洋子にハマってみるものいいかなと思いました。

ガイ・リッチー監督、マドンナ、クライヴ・オーウェン(運転手)主演のBMW M5 CM。文句なしにかっこいいです。

 

結局、色々とストレスを溜め込んでしまった連休でした。

2011-04-27

迷い道 くねくね

例年に比べて、3週間ほど遅れの25日ぐらいから、市内の小中学校は一斉に(やっと)始まったようです。

歩道脇の緑の中に黄色の花を目にするように、学校に向かうランドセルが踊る中にも黄色い帽子を目にして日常を感じました。

下駄箱のスノコに躓いて転んで、スノコの継ぎ目に刺さったままの脱げた上履きズックを見ながら泣いたことや、半ズボンを履いた男子は皆白いタイツを履いていましたが、私だけが肌色のタイツを履いているのに気づいて、仲間外れにあっているような顔で集合写真に収まったことや、地区ごとの集団登校では登校班班長の兄が変によそよそしくて妙に厳しかったことや、三年生のキヨシくんが、いつも集合時間ギリギリなので遅刻してしまうんじゃないかと、無駄にドキドキしていたら、オシッコを漏らして結局遅刻してしまったことや、────赤信号に足踏みしているランドセルを眺めていたら、思い出さなくても良い記憶ばかりが青信号に変るように灯りました。

小学校の始まるのが遅れた分、夏冬休みは削られて、子供達は意気消沈していますが、父母達は意気揚々な感じです。

先日、ちょうど岸本佐知子さんのエッセイ集を読み終えた時のことです。
エッセイの中で、たびたび川上弘美さんという作家の方を目にしました。「あるようなないような、やっぱりあるような(気になる部分)」という章で「カワカミさん」として書かれていたりして、川上弘美さんの作品を読んでみたいと興味を持ちました。
ちょうど読了した次の日ぐらいに、いつもお邪魔させて頂いている先で「センセイの鞄(川上弘美)」のことをお書きになっているのを目にしました。「なんという(偶然のタイミングな)ことでしょう!(加藤みどり調)」。あぁ、なんてシンクロニシティ!シティー!シティー!ホンダ!ホンダ!ホンダと、ひとりマッドネスで興奮のるつぼに陥ってしまい、なんだか、あらためて地動説が正しいことを実感して、早速、南アメリカに広がるコーヒー色した大河に向けて、マウスを漕ぎ出した次第で御座います。えぇ
物心ついた頃だったと思いますが、風邪を引いて内科医院に行った時の事です。
リノリウムが独特の匂いを放っていて、それに蓋をするように粗末な黒の長いすが等間隔で並んだ待合室です。正面に天井にぶら下がるようにテレビが据え付けてあります。隙間なく長いすに座った人たちは、口を開けてテレビを食い入るように見ています。ブラウン管の中では、クレーンに吊るされた大きな黒光りした鉄球が、左右に力強く大きく揺れながら建物の壁を容赦なく破壊していました。────というシーンが幾度か頭の中で流れて、「センセイの鞄」が映像化(DVD)されている事を知りました。コンビニで当然のように聞かれる「おにぎり暖めますか?」は、北海道・東北地方しか聞かれないという事実を知った時ぐらいの衝撃でした。いい大人になるまでの間、小泉今日子さんのファンを標榜にしていたので、仕事帰りにレンタル店をはしごしたのは言うまでもありません。
今週はなんだか、まわりはすでにゴールデンウィークな雰囲気で、手持ち豚さと誤変換するぐらいに手持ち無沙汰な感じです。

2011-04-26

therefore

昨日は朝から穏やかな午前中でしたが、脳に向かうはずの血液が寄り道をはじめた頃に、ふと目を上げた窓の外が瞬く間に暗くなりだして、湯飲み茶碗の柄みたいにアスファルトが本来の色を取り戻し始めました。

IMG_0118

そうしているうちに、窓を叩く音が次第に高くなりだして、窓から見える法面の木々の葉がせわしなく挨拶を始めました。次第に腰の折れる角度が段々とキツくなりだして、頭を下げっぱなしの土下座状態になりました。
席を立って、窓から向かいの駐車場を見ると、空から消臭芳香ビーズみたいな球体が降り落ちて地面で激しくバウンドしていました。

一瞬、目が眩むように明るくなると、すぐに、向かいの同僚が失注した見積書を派手に破いているような音がしました。またかと思っていたら、地響きがして、またかと思ったら、雷でした。
地響きが長すぎて余震なんだか何なのかわからず、ちょっとしたパニック状態に陥りました。
ほんの15分ぐらいの出来事でしたが、正直、この世の終わりかと思うほどの光景でした。

窓を風が揺らして雹が叩き、雷が旋律を奏で地響きが牽引する、フレーミングが絶妙なインプロヴィゼーションでした。

思えば、昨年大晦日のこと。
夜中の3時ぐらいから、激しいみぞれと雷が降り出しました。
なにより、雷の威力は強大で、規則正しくカーテンを物ともせずに真夏の太陽のように照らし、轟音を轟かせて震度4ぐらいで家々を揺らしました。
近所の大きなスーパーマーケット辺りに落ちて、火の手が上がり、周辺の信号機や家々は夕方ぐらいまで停電になりました。

とはいえ、人間、慣れというものは恐ろしいもので、昼前には稲光と轟音は日常の一部と化してしまって、冷静に眺めていれるようになりました。
結局、夕方3時ぐらいには、雷も雪もフェードアウトしていきました。
この時降った雪の量は結構なもので、翌々日に旅行で降り立った北海道で、あまりの雪の少なさに拍子抜けしたほどでした。

東北に住んでいますが、太平洋沿岸地域は、冬の季節でも雪が降って積もることは滅多にありません。余裕で片手で数えるぐらいなのですが、年が明けて2月は、結構というか、相当降った月でした。近年稀に見るほどの量でした。市の除雪費が2月だけで底をついてしまったとか度々耳にするほどでした。

そして3月はその通りでした。

最近、リアス式海岸がノコギリの刃が欠け落ちるように海に沈む夢を見ます。
今日のような快晴で気持ちのいい穏やかな日には、例え、風が運ぶものにくしゃみが止らなくても、平穏な日をなるべく満喫しようと思います。