おふくろの味(おふくろのあじ)は、幼少期に経験した家庭料理、もしくはそれによって形成された味覚、またそれらを想起させる料理を指す言葉。
おふくろの味 - Wikipedia
「おふくろの味」の代表料理としては「肉じゃが」「味噌汁」「炊き込みご飯」あたりが上位らしい。
実家は漁業を営んでいて両親共に忙しかった。
食事は海の幸を焼くか煮るか、もしくは生か、といった、おかずが中心だった。「こう見えても作る気になれば、どんな料理だってじつは色々出来るんだよ」が母の口癖だった。育ち盛りの頃になると、食事を待てずに自然と調理する楽しみを覚えていった。今でも料理を作ることは好きだ。
肉じゃがは嫌いではないが、「おふくろの味」だからと拘るほどでもない。当時付き合っていた彼女がマイエプロン持参で肉じゃがを作ってくれたことがあった。やたらと青臭いさやえんどうを無理して残さずに食べてから、肉じゃがに入ってるさやえんどうが苦手になった。腕をふるう前に塩をふるって下茹してほしいと、今だから言えること。
幼い頃から食事の時には、味噌汁は飲まない。これといって特別な理由はあるわけでも無い。そう食事のときに味噌汁が無くてもいいヒト。どうでもいいことだが「~しなくてもいいヒト」的表現は嫌いだ。
最近、急速に進化し続ける調味料によって、「おふくろの味」の存在意識自体が薄れてきてるような気がする。手間隙をかければ「おふくろの味」ということではなく、単に調味料を使うことによって「おふくろの味」が標準化してしまったからだと思う。
(画像でも無いと ブログとしてとてもつまらないので とりあえずそれらしい画像を載せただけで 本文と直接関係があるわけではありません)
私の「おふくろの味(家庭料理の代表)」は「カレーライス」。
これこそ既にカレールーの開発によって標準化された料理といえるが、標準化された歴史が古いせいか、その家庭独自にアレンジ(手を加えている)されていることが多い。これには添え物の種類や、添え物を脇に添えるか乗せるか、または混ぜる等も含まれる。また食べる段階でカレーをかけるか、混ぜるか、醤油やソース、コショウ、クリーム等をかける加味、これもアレンジする行為ひとつだと思う。
中高の頃、友人宅でがちゃがちゃと夜通し麻雀や、ぎゃりぎゃりどんどんとバンド練習等をしていると、ご馳走になるのは決まってカレーライスだった。廊下から階段にかけて漂ってくるカレーライスの匂いに、他人の家の匂いに対する緊張が解ける瞬間だった気がする。カレールーが水っぽくてちゃーちゃーな状態にも、友人の母親のもてなしを感じたものだった。
この間、ファミリーレストランでメニューを開いて、ずいぶん昔からカレーライスを注文していないことに気づいた。たぶん、シンプルで素朴な「おふくろの味」で作り上げられた嗅覚・味覚の判断行為なのだろうと思った次第で御座います まる
sharon様
返信削除僕の母も働いておりましてね、でも、僕は料理に目覚めなかった。
それは痛恨であるが。味噌汁を飲まないのは共通している。
母は出汁もとらず、適当に作っていたのだろう、美味しいと思った記憶が無い。
さて、記憶の奥を探って出した答えが「オムライス」は母の味。
いや、ただのケチャップの味なのだが、僕は何よりオムライスが好きだった。
農村部に住んでいたので、季節の野菜が一度に食卓に乗る。
それも、毎日、毎日である。
僕は、かぼちゃが嫌いになった。
さすがに、大人であるから食べられるが、パンプキンスープなど
敬遠できるなら、松井並みに敬遠したいくらいである。
高校時代のことは幾つか鮮明に覚えていることがあるんです。
彼女も登場します。その内書きます。 では。
荒木
荒木さん
返信削除コメントありがとうございます。
ちょいと直撃を喰らったおかげですっかり遅くなりました。
是非に高校時代の幾つかの鮮明に覚えているソレについて期待して待ってます。
よろしく願いします。