2009-10-25

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ヘンゼルとグレーテル


父親は 9年ほど前に肺がんを患って他界した。

前のブログでも書いたことがあるが、私が高校生の頃、母親が熱を出して寝込んだ際に冷凍の揚げ物用エビフライをガスレンジの魚焼きグリルで火を通し、白黒縞模様が鮮やかな彩を添えた弁当を作ってくれるような、そんな頑張り屋さんでもあった。

そんな父親の記憶のひとつで鮮明に覚えている出来事がある。たぶん私が物心ついた頃のこと。

当時、両親はワカメや昆布の養殖業を生業としていた。
このワカメや昆布の収穫時期は決まっていて 2月初~7月末ぐらいまでの約6ヶ月間。
この期間で1年分の稼ぎをすると言うことになる。
残り6ヶ月間は魚を取ったり、短期で土木作業のアルバイトなどをしていた。
冬の時期、ちょうど11月中旬ぐらいから、鮭が遡上のために海を経由して近くの川にのぼって来る。
鮭を捕獲することは法律で禁止されている。捕獲するための免許があれば別だ。無免許で捕獲した場合、密漁という罪で罰せられる。

その日は、クリスマスまで あと一週間ぐらいの頃だったと記憶している。
2、3日前に初雪が降り、その上に午後から降り始めた雪が 5cmぐらい積もり始めていた。とても静かな 21時前頃だった。

いきなり玄関の引き戸が勢いよく開いた。
勢いがよすぎて戸が跳ね返って、家に入ってこようとした人物が玄関と戸で挟まるぐらいの勢いだった。その人物は全身絞ってしまいたいほどにズブ濡れだった。

まるで、外出先で猛烈に便意をもよおしてしまったが、大便は絶対に家のトイレで落ち着いて済ましたい、そんなちっぽけなポリシーを大切しているため、肛門括約筋と格闘しながら帰ってきた。そんな必死な形相で父親がそこに立っていた。
胸に80cmぐらいの口に小豆色をした液体がついた鮭を両手で大事そうに抱えていた。

自動車教習所で後方確認を目視で行うように、ちょっと不自然でぎこにない、そして素早い動きで後ろを見やり、前方を向きなおすと顔はそのままで目だけで何かを探していた。

その目線は、首までコタツに入った兄のところで止まった。
一旦、抱えていた鮭を床に転がし、兄の両脇に素早く手を差し込んで傷つけぬよう、そして勢いよく大根を畑から抜くようにコタツから出し、鮭を転がし入れ、勢いそのままに風呂場のほうへ消えていった。

母親は、その一連の行動で何かを察したらしく、玄関先周辺、そして茶の間を挟む廊下、コタツ付近の掃除を始めていた。
私と兄は、上体を起こし膝を立てた足を両腕で抱え、コタツの中の物体に足を捕られぬ様な格好で座り、それらの光景をただぼんやりと黙って眺めていた。

その内、父親は風呂場から何事も無かったかのように上下ラクダ色をした下着姿で、拭き掃除に汗する母親をヒョいと跨いで居間を横切り台所に向かい、日本酒の瓶をちゃぷちゃぷと音をさせながら、コップを片手にコタツの空いた一辺にドッカと音を立てるかのように座った。

タンポポの綿毛を吹き飛ばすように長く息を吐き出しながら、コップになみなみと日本酒を注ぎ、吐き出した息を吸い込むが如く、それを一気に飲み干した。
そして「むぅ~はぁ~」とアルコール血中濃度の変化を声に出して表現して見せた。

敗戦処理にあたった投手のように疲れた顔をした母親が、空いているコタツの一辺に雑巾片手にすわり、上目遣いで父親に向かって口を開こうとした瞬間だった、玄関の引き戸が激しく 2回音を立てた。

両親共に「あ」の口の形の状態で見つめあったが、続く「...夜分遅くにすみません」との声に父親は、母親に対して顎でその合図をした。

母親が玄関の引き戸を開けると、そこには全身を紺色で覆った 2人の男が立っているのが見えた。
雪明りに濃紺のゴム合羽が怪しく光っていた。

ひそひそとした会話を交わした後、母親を含む3人がそれを申し合わせていたかのように一斉に父親のほうを向いた。
もう、その瞬間には既に父親は畳んだ右足の膝に手をあてて立ち上がろうとしていた。
そばに掛けてあった防寒着をラクダ色の下着の上に羽織って、機械的に頭を下げる男2人のほうへ向かい手振りを交えた立ち話をした後、ほどなくして玄関の外に消えていった。

一連の光景を目にして表現できない恐怖を感じた私は玄関の傍に立ち、外を不安そうに見つめている母親の左足にしがみついた。
いつの間にか雪はすっかり止んでいた。玄関先には、綺麗なオレンジ色をした粒々が散乱していて、その大半は大小の足跡で潰されていた。

数十分後、普段着に着替えた父親は先ほどの男2人が運転してきた車に、ちょっと前までコタツの中で暖をとっていた鮭と共に乗り込んでいた。

その光景を意味がわからない状態で母親、兄の三人で玄関先から見送った。
荒れた狭い路地のわだちを走る車のテールライトは、ダンスを楽しむかの様に激しく上下に揺らしながら、表通りに消えて行った。

私は母親がコタツ布団などを片付け始めるのを見ながら、父親の行方について聞いた。
母親は、砂抜きが足りないアサリを食べたような顔をしながら、無言で懐中電灯を手にとって立ち上がり玄関の方へ向かった。
私は一瞬、兄と顔を見合わせた後、玄関に向かった。

長靴を履いて外に出ると、すぐのところに母親は立っていて、足元のあたりを懐中電灯で照らして何かを確認しているようだった。

雪明りで明るい夜だった。

先ほどダンスを楽しみながら車が出て行った路地とは、ちょうど反対方向に車の通れない狭い一本の小路が海に延びている。

母親はちらりと我々兄弟の方を見て少女のような笑みを見せた。但しそれは年端のゆかぬ少女の笑みではなかった。我々兄弟はそろって母親の傍に立った。
母親は黙って、持っていた懐中電灯を足元から、その狭い一本の小路に沿って照らした。

白い雪の上にオレンジ色の粒々が落ちているのに気づいた。オレンジの粒々は玄関先から海へと続く小路に続いていた。それは白いキャンバスにオレンジ色の線を描いたような、そんな感じだった。

海上保安庁は、船着場から雪上のオレンジ色した粒々(イクラ)を辿って、家を尋ねただけの話だ。

父親は、海上保安庁から懸命に逃げ切ることはできたが、捕った雌鮭が雪上へ産卵してしまい、結果的にそれはダイイングメッセージとなって逆に捕まってしまった。

一晩宿泊し、翌日昼過ぎに父親は帰ってきた。
休暇が短すぎて楽しめなかったような顔をしていた。

そんな、うっかり屋さんでガッカリ屋さんな父親でもあった。

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子供達に父親の思い出を少しでも多く残してやりたいと最近思う。
それは良いものでも悪いものでも小さなものでも馬鹿なものでも、とりあえずひとつでも多くの父親という思い出。

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昨日奥さんに、11月にあるイベントのポスター用の顔写真を撮ってくれと頼まれた。

努力の末、鉄棒で逆上がりが出来て母親に「もう一回見せて」と言われ、しぶしぶ顔で得意げに逆上がりをしてみせる、そんな子供のように気分で撮ってあげた。
ファインダー越しであったが、久々に見る奥さんの顔に流石に年齢を感じ、そしてお互いになんとも言われない恥ずかしさを感じた。

撮り終え、奥さんは顔のシミが編集で除去出来るか否かについて、ひとしきり熱弁を奮い確認した後、「カメラで一体なにを撮りたいの」と聞かれた。
奥さん本人は深い意味で言ったのでは無いと思うが、返答に困ってしまった。
その場又は、その時々の状況で感じたことをカメラを媒介して記録しているだけなので、相手に対して説明に困る。それは女性の好みやタイプについて聞かれるのに似ている。

ただ、ひとつだけ撮り続けているものに「花」がある。
家には今年84歳?になる義祖母がいて、唯一の楽しみは庭の花木の手入れだ。
しかし、花を咲かせるまでは、熱心に世話をしすぎるぐらい手間隙をかけるのだが、いざ咲いてしまうと片っ端から切り落としてしまう。
切り落とされる花に同情の念を持ってしまったため、綺麗な状態の花の写真を撮るようになった。
それはたぶんアイドルや、女優が若いうちにヌード写真残すのと同じ気持ちだと思う。

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そんな理由で花の写真を撮っているので、花の名前なんて8割がた知らないのが正直なところである。

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沼にずぶずぶと とりあえず足首あたりまでで踏みとどまってみる


この間、(259/365 - 今日は死ぬにはいい日だ)Canon EOS Kiss X2 ダブルズームキットを購入したが、キットレンズが、18-55mm と 55-250mm だったんで 18-200mmぐらいのが、一本あれば事足りるなぁ、などとつぶやいてたら、カメラを購入する際にカーフブランディング(仔牛の焼印押し)で背中を押してくれた先輩が、昨日の朝「インフルエンザウィルスを付着させんなよっ」と左の口角をちょっいと上げながら、机の上にそっとレンズを置いた。

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シグマ 18-200mm F3.5-6.3 DC デジタル専用 キヤノン用


お礼を言おうと顔を上げたとき、雪降りの中、急遽出掛けなきゃならない状況で車が無くて困っているとき、「貸すよ」と車の鍵を差し出しながら、「ABSは付いて無いから」って感じで「手振れ補正は付いて無いから」と言って自席に向かった。その背中に向かって礼を言うと背中を向けたまま左手を上げた。同時に自分の中の「いい人」に関する定義付けを更新した瞬間だった。

昼を知らせるチャイムとともに、弁当を葛根田(かっこんだ)ブナ原生林の勢いで食べ、会社近辺へ車を走らせた。
とりあえず、積雪上で車を停止する際、ポンピングブレーキを多用することを注意するように、カメラを構えて丹下段平の「あしたのために」に記述されている、「肘を脇の下から離さぬ心構えで、やや内角を狙い、えぐり込む様に打つべし」とつぶやきながら撮った。自身が「バカ」であることを更新した瞬間だった。

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小ぶりなボディに装着すると、さすがに一昔前のスポーティカーのようにフロントヘビーな状態になるが、別にカーブをドリフトして通過するわけではないので、これはこれで気にならないレベルだと思う。
 
35歳を超えたあたりから、食欲の秋というより、物欲の秋のような気がしてならない。
欲しいものがあれば、色々と頑張れるからいいし、最近やっと我慢することも覚えた。たぶん。

2009-10-24

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今日は、小学3年生になる息子の学習発表会なるのもに喜び勇んで出掛けてきた。

一度、学級閉鎖→学校閉鎖のコンボで2週間延期された。
学校閉鎖明け直後に新型インフルエンザ感染。学習発表会の2日前から登校開始。
正直心配してたが、準主役?をきっちり演じきった。

そんな本人は、観てる側にはまったくわからない所での失敗をすごく悔やんでいた。
なんでも手袋を2つ落とした事らしい。わからないことだ。

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観客席は全員マスク着用。

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小学校の学習発表会特有のあたふた感とダルダル感に酔いしれた午前中だった。

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あるいは美容師見習いという名の娘


最近、髪を切りに後輩の美容院に行く。

この後輩を含め、知人や友人、同級生などに結構、美容院勤めが多かったりするが、この「知り合いの仲」って言うのが、逆に作用する場合が多々あったりする。
電話で予約したにもかかわらず、2、3時間平気で待たされ「知り合いの仲」ゆえに優先されない場合が大半だったりした。
歯医者とか、美容院とか、簡単に変えれなかったりするんで、半ばあきらめて髪を伸ばし始めてた矢先、この後輩に偶然会った際、こんど独立して店を出したのでと誘いを受けた。結局、この誘いが行きつけの美容院を変更するキッカケとなった。

その美容院に今年22歳になるという、美容師見習い(アシスタント)の娘がいる。
余談であるが、私はカット前にシャンプーをしてくれる人の血液型を当てることが出来る。
その命中率は次元大介ほどの腕前だったりする。そしてこの娘は B型である。

美容師見習いは、カット技術は勿論のこと、シャンプーやマッサージなどの付帯サービス、そして客との会話を主としたコミュニケーション技術も学ばなければならないので大変なのだろうと思う。
たぶん、その個々の技術バランスこそが店の顧客評価=魅力なるのだろうから。

シャンプー後、席を移動してマッサージをしようとしている時に「ご職業は先生ですか?」と突拍子も無く聞かれ、思わず「先生」という言葉の余韻にしばし浸ってしまった。
ランバードや、アシックスのロゴ入りジャージ上下を着てたわけでもなく、アオなんたらの吊るしのスーツを着ていたわけでもない。ましてや袖口付近がチョークの粉で汚れてもいない。
むしろ「先生」と呼ぶには、決してふさわしくは無いであろう格好をしていたはずだ。
思わず、きなこ餅が喉に詰まってしまったかのような声で「なぜ?」と言ってから、一つ咳払いして聞いた。
「そんなオーラが出てます♪~」 ...らしい。彼女はオーラなるものが見えるらしい。江原啓之さんや美輪明宏さんほどではないので、美容師見習いをしながら修行中なのだろうか。
「どんな?」と聞き返すと、マッサージのために私の肩に置いた両手をちょいと中空に放ち、一昔前に流行ったパラパラのような手振りをしながら、「こう~ こんなで... こんな感じで... 」とちょっと肩こりが気になるように、右に顔をちょっと曲げながら体現した。折角、彼女がオーラなるものを体現してくれたが結局、理解出来ず残念だった。
それは、幼き頃に帰ってきたウルトラマン再放送の最終回を観た後、ウルトラ5つの誓いを見上げた空で確認できなかったのと同じような気分になったり、オーラバトラー ダンバインの操縦が出来るかもと変な期待を含んだ、そんな複雑な心境になった。

この間、髪を切りに行った際に同じ状況で彼女に開口一番、「パンツはどんなのですか?」と聞かれた。目の前に積んである雑誌smartを読んでいて、「ちんかめ」のページを開いてしまった時のようにあわててしまった。
たぶん「パンツはどのようなタイプのものを着用してますか?」と勝手に脳内変換した上で、「普通の」と出来るだけ当たり障りの無いように答えると、眉根を下縦方向にした表情を作って見せた。
「トランクスとブリーフの中間のボクサーブリーフタイプ」と付け加えると、声には出さないが「あー」という口を作りながら、先ほどとは真逆の表情を見せた。そして「やっぱりいいですか?」。
一瞬答えに躊躇してしまい、「選択基準は束縛の度合いなのだよ。それは結婚後の居心地のいい環境に似ていて、トランクスは自由すぎるし、ブリーフだと息がつまる。そんなちょうどいい環境を同居する息子に作って上げれるのがボクサーブリーフなタイプなのだよ」とか、「人生において重要なのはバランスだ。そんなバランスを維持してくれるのはボクサーブリーフなんだ」ましてや、「体全体のバランスをとるのは三半規管であるが、私は三半規管が強いほうではない。三半規管を鍛えるには水泳が良いらしいのだが、あいにく私は泳げない。従ってボクサーブリーフを着用することでそれを補っている」などという返答を考えてみたが、「やっぱりいいよ」と相手の言葉を借りて答えた。
「やっぱりいいですか~」とそこで会話はファードアウトした。

そんな会話のやり取りだけではなく、普通の会話も当然ある。
ただ、そんな会話のやりとりで会話として成り立たせようと、こちらでコントロールしてしまうために「先生」のオーラを出す羽目になっていることに最近気づいた。

それは「今時の若い者は」的なことではなく、逆にこういった会話をむしろ楽しんでることを、その店の評価としている。それは当然書ききれない様々な環境などを含めてのこと。

新型インフルエンザ感染の疑いが晴れる、今週末にでも髪を切りに行こうと思っている。たぶんね。