2009-10-29

302/365

サンタさんへの手紙


その年の1月1日を「1」とし、ダイアリーのアップした時点での日にちを分子、1年=365日を母数としてタイトルにしている。
今日で302日目。2009年も残すところ、今日を含め 63日。
年齢を重ねる毎に過ぎていく日々を早いと感じる。

前にどこかで見たか聞いたか読んだか忘れたが、それは年齢に関係するもので、例えば 10歳の場合は 人生の10分の1、40歳の場合は 40分の1で 1年を感じるからだとか。
ただ、日曜日の晩と月曜日の朝は年齢に関係無く、その回避出来ない事実と真剣に向かい合っていることは確かなことだと思う。

そんな先週の日曜日の晩、子供達(息子 9歳、娘 6歳)に「サンタさんへ」と記された手紙を貰った。正しい表現として預かった。
子供達にとってクリスマスまでは早く感じるらしい。これは例外事例ということだ。

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息子が練習で書いたもの。清書版なるものは、
緑、赤、黄色付きでなんともクリスマス的。
「ウィー」なんぞ、自慢の左腕でウェスタン・
ラリアートを御見舞いした後、いくらでも
パパが聞かせてやるぞ!
今ならもれなくロングホーンポーズ付きだ。
なんてことは、さすがに言えるわけがない。
娘のお願いは「シフォン」のぬいぐるみらしい。
「シフォン」ってカタカナで書けないことに「キーッ」ってなりながら、何枚も書き直していた。

そしてプレゼント担当な意味でサンタさん役は毎年私だ。
釣った魚に餌を与えるのが好きなので、お祭りですくった金魚をフナレベルの大きさに育ててあげたサンタさんにとって、プレゼントの対象は奥さんも入る。

毎年、子供達に「パパには今年もサンタさんは来なかったね」と言われ、奥さんに「何か欲しいのは無いの?」って聞かれるけど、「無い」と思わず言い放った後に「見返りを求めてはいけない」と 108回心の中で唱えたりする。

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けど今年に限っては「レンズ」って即答すると決めている。
今年はサンタクロースの存在を信じて見たいと思う。あっ little.

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2009-10-28

301/365

小栗旬は今が旬

最近、読書の秋と言わんばかりの勢いで秋の夜長に本ばかり読んでいる。
勢いそのままに積読本を増やしてみたり。
その勢いはマーロウな気分で「さらば愛しき女」を再読本(厳密には再々々読)購入したり。

一旦、読書なモードに入ると中々抜け出せなかったりする。
せっかく、友人達が貸してくれた映画DVDの山に無言のプレッシャーを感じてみたり。
読書と映画鑑賞を上手に切り替えれない事で困ったり。
昔はむしろそんな状態を楽しむことが出来ていた。当時の女性関係同様に。ただ好きな映画DVDや本に囲まれていると幸せな気分に浸れる。

ちょうど、そんな気分は将来血縁関係になるであろうと勝手に予測し、姉さんと勝手に慕っている id:amenonaka さんのブログ(はてなダイアリー)で書かれている。
読みたい本に囲まれると、なんであんなにも幸せになれるんだろう。今、これからお家に帰ってあの本たちが読めることを考えただけでも頬が緩むもの。不思議。
昨日、読書モードから映画モードへ切り替えることできた。
そのきっかけは切り替えにふさわしい映画DVDを後輩が貸してくれたこと。


クローズZERO II プレミアム・エディション [DVD]


25年ぐらい前、鼻腔や口腔内に錆びの味を味わった、そんな青春時代を過ごしたことのある人なら、頭頂部の髪の毛がピンと立ってしまうような、そんな映画だと思う。
原作者の高橋ヒロシは『クローズ』連載中の頃からの映画化の話を全て断っていたが、完全オリジナルストーリーという条件で実現した。
クローズZERO - Wikipedia
それと「演技が出来る俳優」というのが条件だったらしい。
監督は、「殺し屋1」などでクエンティン・タランティーノに影響を与えたと言われる、三池崇史。
前作の「クローズ ゼロ」では黒木メイサ以外(原作には一切女性キャラは登場しない)、期待に反して楽しめた。
作者の「演技が出来る俳優」条件を満たしていたからだと思う。
主役の小栗旬が与えられた台詞を自分の言葉にして、違和感なく演技していたのが良かったが、ツーブロックのヘアースタイルは違和感があって残念だった。
それと意外だったのが、劇場版「電車男」の山田孝之*1
「電車男」のイメージが強かったせいもあってか、小栗旬同様に見事に裏切られた感じだった。
そんな前作もあって期待を胸に続編を鑑賞した。
総評として「シリーズ2作目って大体そんなもんだよね」的な作品だった。
ちょっと やりすぎた感満載で、映画だからっていくらなんでもそこまでは?的な感じだった。
そんな切り替えにふさわしい映画だった。そう、切り替えにふさわしい映画。
シリーズを通してファンになった役柄がある。
色々な意味で残念だった、実写版「デビルマン」主演の伊崎右典、央登兄弟演じる「三上兄弟」。

 
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エンディングテーマ さすらいの歌(THE STREET BEATS)

 
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ツーブロックなヘアスタイルに違和感を感じないほど、熱烈な小栗旬のファンなら観ても問題は無いと思う。

*1:ドラゴンヘッド実写版で高橋ノブオ役だったんだと後にわかってビックリしたり。

2009-10-27

300/365

カメラのストラップが届いた。(280/365 - 今日は死ぬにはいい日だ

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タン×オレンジレザーの組み合わせは正直なところ、冒険野郎マクガイバー的で心配だったが、とてもいい感じだ。
そんな勢いで純正レンズフードも装着してみた。
(レンズフードと洒落た呼び方は頬が赤くなるんで「笠」と呼んだり)
この「笠」には不思議な力があって装着すると、なんだか池中玄太的な気分に浸れる。ただし将来的に丹頂鶴を撮る気はない。

あわせて腕時計バンドもオレンジ色の皮ベルトに交換して、ウォレットのコードも黒×茶にして、ブックカバーもアイボリーにして、なんだか秋な気分を満喫してみたり。

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そしてレンズ沼貯金を始めました。TAMRON AF18-270mm F/3.5-6.3 DiIIVC LD Aspherical [IF] キャノン用 MACRO B003E

ただね、焦点距離とか35mm換算とか適正露出がどうとか絞りを開くとか、正直分からないので趣味の欄に「カメラ」と入力することを躊躇したりしている私です。

2009-10-26

296/365

名は体を表す


物心ついた頃から実家では犬または猫を飼っていた。
別離のときに非常に辛い思いを、その都度後悔するわりにこの環境は最近まで変わってなかった。

ペットを飼う際に一番最初に考えるのは「名前」だと思うが、家の場合歴代「ジョン」と呼ばれる犬が 4匹は存在した。これはあくまでも聞いてる範囲であるため、「犬」=「ジョン」的な家なので過去に「ジョン」と呼ばれた犬が何匹存在したかは定かではない。そして「ジョン」と呼ばれる犬の雌雄は皆無だった。
前に「ジョン」以外の名を付けた犬がいた。「犬」=「ジョン」的な家にとって言わば特殊な例だと言える。
実家では昔、ワカメや昆布の養殖業を営んでいて収穫時期になると夜が明ける前から海に出ていた。
ある日、収穫物(ワカメや昆布)を入れる籠に小さな黒い生き物が入っていたのに気づき、暗がりであったために小熊だと思ったらしい。
とりあえず家に連れ帰って良く見たらそれは子犬だった。
結局、家で飼うことになったのだが、父親がエサをやる際に「クマ」と呼んだため、それから「クマ」と呼ぶようになった。
更に母親が「クマ」と呼びづらかったためか、いつの間にやら「クマコ」と呼ぶようになった。幸い♀だったから、ある意味、事なきを得たってことだ。
前述の母親による、言わば「ぶっこ抜きジャーマンスープレックス・ホールド」的な改名は未だいい方だと言える。

私が小学生の頃に 4代目を襲名した「ジョン」がいた。
ふと気づくといつの間にか、尻尾の長い、綺麗なトラネコが「ジョン」のご飯を「ジョン」といっしょに食べているようになっていた。
そして夕餉の食卓における厳正なる家族会議の結果、このトラネコ(♂)を飼うことが決定された。
いつまでも、「ジョン」といっしょのご飯って訳にもいかないので、家に招き入れ、専用のご飯を用意していたときだった。
性別を理解している上で、母親がご飯を与える際に「ジョンコ」と呼んだ。
まさに戦慄の瞬間だったと記憶している。
訳を聞けば、犬が「ジョン」だから「ジョンコ」でいいじゃない、という。正当な理由かもしれない。
「ジョンコ」と呼ばれる猫に対して、「不憫に思う」という意味を小学年で体感した時だった。

私が高校生ともなると、イタリア人でも、当然カトリックでもあるわけでは無いが、ペットに対するゴットファーザーになることが出来た。
その最初に洗礼を受けたのが、いつのまにか迷い込んできた三毛猫(♀)だった。
当時付き合っていた彼女の影響でいくえみ綾の作品を好んで読んでいた頃。その作品中で飼っている猫が「ミカ」という名前だったんで、安易に「ミカ」と決めた。しかし、母親は頑なに「ミカコ」と呼んでいた。
「ミカ」は、とてもベッピンさんでモテモテだった。若いときは年3回とか子孫を残した。苦労して里親探しをしたものだった。
あるとき、里親が見つからないで一匹残ってしまったときがある。
それは爪を体内に隠せるようになる頃までだった。
仮称「チョチョリーナ」と何の気なしに呼んでいた。
暫くして、家の裏のおばあさん(当時70歳ぐらい)が里親になってくれることになった。
時々、「ミカ」と様子を見に行くと「チョチョ」って呼んでで恥ずかしい思いをしたものだった。

夏頃、実家に行った時に偶然、このおばあさんと会って立ち話してたら一匹の猫が寄ってきた。
おばあさんトコで飼っている猫で、なんでも「チョチョリーナ」の孫らしい。
なんだか嬉しくてなって、勝手に「チョチョシミリ」って名前をつけて嫌だっていうほどに撫で上げてやった。

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嫁ぎ先(?)である奥さんのところにも猫がいる。
シャムネコと黒猫のミックスらしい。名前を「シャム」という。
純粋なシャムネコと比べるとたしかに黒いところが多い。そして♂であるが手術済みである。
今年で20歳、人間の年齢換算だと105歳ってことになるらしい。ご老体ではあるが元気だ。
ただ、この時期には必ず鎮座していたテレビの上にも上がることはなくなった。厳密には上がる事が出来なくなった。
しかし、此間の晩、私の右足用スリッパのかかと部分上に、水(汁)気たっぷりに光る片足の無い、とても大きなカマドウマがいた。ピクりともしない。
「シャム」が横たわるほうを見ると顔だけを上げ、一つ鳴き声を発して口の周りを丹念に舐め、左手で顔をこすって見せた。
息子が生まれ、愛情が息子にいったしまったことに対して感情を私のスリッパに表現した。毛玉まじりのソレだったり、酷いときはウ○チだったりした。
私のスリッパは彼の感情表現の場なのだ。
そして未だ現役であることを、カマドウマをもって主張してくれたらしい。そうカマドウマで。

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そのときは覚悟はしているが、たぶん上手には受身を取ることは出来ないと思うな。
化け猫になってもいいから生き続けて欲しいなんて思ったり。

2009-10-25

299/365

ヘンゼルとグレーテル


父親は 9年ほど前に肺がんを患って他界した。

前のブログでも書いたことがあるが、私が高校生の頃、母親が熱を出して寝込んだ際に冷凍の揚げ物用エビフライをガスレンジの魚焼きグリルで火を通し、白黒縞模様が鮮やかな彩を添えた弁当を作ってくれるような、そんな頑張り屋さんでもあった。

そんな父親の記憶のひとつで鮮明に覚えている出来事がある。たぶん私が物心ついた頃のこと。

当時、両親はワカメや昆布の養殖業を生業としていた。
このワカメや昆布の収穫時期は決まっていて 2月初~7月末ぐらいまでの約6ヶ月間。
この期間で1年分の稼ぎをすると言うことになる。
残り6ヶ月間は魚を取ったり、短期で土木作業のアルバイトなどをしていた。
冬の時期、ちょうど11月中旬ぐらいから、鮭が遡上のために海を経由して近くの川にのぼって来る。
鮭を捕獲することは法律で禁止されている。捕獲するための免許があれば別だ。無免許で捕獲した場合、密漁という罪で罰せられる。

その日は、クリスマスまで あと一週間ぐらいの頃だったと記憶している。
2、3日前に初雪が降り、その上に午後から降り始めた雪が 5cmぐらい積もり始めていた。とても静かな 21時前頃だった。

いきなり玄関の引き戸が勢いよく開いた。
勢いがよすぎて戸が跳ね返って、家に入ってこようとした人物が玄関と戸で挟まるぐらいの勢いだった。その人物は全身絞ってしまいたいほどにズブ濡れだった。

まるで、外出先で猛烈に便意をもよおしてしまったが、大便は絶対に家のトイレで落ち着いて済ましたい、そんなちっぽけなポリシーを大切しているため、肛門括約筋と格闘しながら帰ってきた。そんな必死な形相で父親がそこに立っていた。
胸に80cmぐらいの口に小豆色をした液体がついた鮭を両手で大事そうに抱えていた。

自動車教習所で後方確認を目視で行うように、ちょっと不自然でぎこにない、そして素早い動きで後ろを見やり、前方を向きなおすと顔はそのままで目だけで何かを探していた。

その目線は、首までコタツに入った兄のところで止まった。
一旦、抱えていた鮭を床に転がし、兄の両脇に素早く手を差し込んで傷つけぬよう、そして勢いよく大根を畑から抜くようにコタツから出し、鮭を転がし入れ、勢いそのままに風呂場のほうへ消えていった。

母親は、その一連の行動で何かを察したらしく、玄関先周辺、そして茶の間を挟む廊下、コタツ付近の掃除を始めていた。
私と兄は、上体を起こし膝を立てた足を両腕で抱え、コタツの中の物体に足を捕られぬ様な格好で座り、それらの光景をただぼんやりと黙って眺めていた。

その内、父親は風呂場から何事も無かったかのように上下ラクダ色をした下着姿で、拭き掃除に汗する母親をヒョいと跨いで居間を横切り台所に向かい、日本酒の瓶をちゃぷちゃぷと音をさせながら、コップを片手にコタツの空いた一辺にドッカと音を立てるかのように座った。

タンポポの綿毛を吹き飛ばすように長く息を吐き出しながら、コップになみなみと日本酒を注ぎ、吐き出した息を吸い込むが如く、それを一気に飲み干した。
そして「むぅ~はぁ~」とアルコール血中濃度の変化を声に出して表現して見せた。

敗戦処理にあたった投手のように疲れた顔をした母親が、空いているコタツの一辺に雑巾片手にすわり、上目遣いで父親に向かって口を開こうとした瞬間だった、玄関の引き戸が激しく 2回音を立てた。

両親共に「あ」の口の形の状態で見つめあったが、続く「...夜分遅くにすみません」との声に父親は、母親に対して顎でその合図をした。

母親が玄関の引き戸を開けると、そこには全身を紺色で覆った 2人の男が立っているのが見えた。
雪明りに濃紺のゴム合羽が怪しく光っていた。

ひそひそとした会話を交わした後、母親を含む3人がそれを申し合わせていたかのように一斉に父親のほうを向いた。
もう、その瞬間には既に父親は畳んだ右足の膝に手をあてて立ち上がろうとしていた。
そばに掛けてあった防寒着をラクダ色の下着の上に羽織って、機械的に頭を下げる男2人のほうへ向かい手振りを交えた立ち話をした後、ほどなくして玄関の外に消えていった。

一連の光景を目にして表現できない恐怖を感じた私は玄関の傍に立ち、外を不安そうに見つめている母親の左足にしがみついた。
いつの間にか雪はすっかり止んでいた。玄関先には、綺麗なオレンジ色をした粒々が散乱していて、その大半は大小の足跡で潰されていた。

数十分後、普段着に着替えた父親は先ほどの男2人が運転してきた車に、ちょっと前までコタツの中で暖をとっていた鮭と共に乗り込んでいた。

その光景を意味がわからない状態で母親、兄の三人で玄関先から見送った。
荒れた狭い路地のわだちを走る車のテールライトは、ダンスを楽しむかの様に激しく上下に揺らしながら、表通りに消えて行った。

私は母親がコタツ布団などを片付け始めるのを見ながら、父親の行方について聞いた。
母親は、砂抜きが足りないアサリを食べたような顔をしながら、無言で懐中電灯を手にとって立ち上がり玄関の方へ向かった。
私は一瞬、兄と顔を見合わせた後、玄関に向かった。

長靴を履いて外に出ると、すぐのところに母親は立っていて、足元のあたりを懐中電灯で照らして何かを確認しているようだった。

雪明りで明るい夜だった。

先ほどダンスを楽しみながら車が出て行った路地とは、ちょうど反対方向に車の通れない狭い一本の小路が海に延びている。

母親はちらりと我々兄弟の方を見て少女のような笑みを見せた。但しそれは年端のゆかぬ少女の笑みではなかった。我々兄弟はそろって母親の傍に立った。
母親は黙って、持っていた懐中電灯を足元から、その狭い一本の小路に沿って照らした。

白い雪の上にオレンジ色の粒々が落ちているのに気づいた。オレンジの粒々は玄関先から海へと続く小路に続いていた。それは白いキャンバスにオレンジ色の線を描いたような、そんな感じだった。

海上保安庁は、船着場から雪上のオレンジ色した粒々(イクラ)を辿って、家を尋ねただけの話だ。

父親は、海上保安庁から懸命に逃げ切ることはできたが、捕った雌鮭が雪上へ産卵してしまい、結果的にそれはダイイングメッセージとなって逆に捕まってしまった。

一晩宿泊し、翌日昼過ぎに父親は帰ってきた。
休暇が短すぎて楽しめなかったような顔をしていた。

そんな、うっかり屋さんでガッカリ屋さんな父親でもあった。

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子供達に父親の思い出を少しでも多く残してやりたいと最近思う。
それは良いものでも悪いものでも小さなものでも馬鹿なものでも、とりあえずひとつでも多くの父親という思い出。