2011-03-31

春暁のまま

  • 実家での食事配給の話(こと)
電気ガス水道が止まっている(お湯を沸かすどころかお湯に化ける物質さえ無い)状況で、一食分としてカップ麺(大体は赤いアレとか緑のソレ)が配給されることが多々ある。それにコカコーラなどの炭酸飲料水の組み合わせ。毎回では無いと付け加えておく。実家の近所に残っている世帯の大半は、余裕で50歳を超える年齢層。正直結構酷だと思う話(こと)。

  • 通った先での唯一の楽しみだった話(こと)
日々、迷彩服の一団が瓦礫の山をやってくる。ひとりが指示すると、えいやーと家の屋根をひっくり返したり、えいやーと逆さになった車をひっくり返したり。確認作業が終わると、「済」とベニヤ板の端切れに白や赤のスプレーで書いて、その場所に立てかける。そうして次の瓦礫に向かう。入隊したいと考えてみたりする。震災から三日目の午前中には群馬から、午後は秋田から、次の日は京都、そのまた次の日は北海道から、わざわざやって来てくれた。交わす言葉の語尾に残るニュアンスに、少しだけ旅行気分に浸れた話(こと)。

  • 遠い親戚より近くの他人の話(こと)
昨日、風呂の日と決めている日だったので、実家に母を迎えに行った。実家のまわりの瓦礫が片付けられ、母の自慢だった庭の面影が垣間見えていた。ガソリン供給がなんとなく安定してきた今週。母の友達や知り合いが連日訪れて再会に涙しながら、片付けを手伝ってくれているらしい。かろうじて踏みとどまった梅の鉢植えが、もうすぐ咲きそうだと言われた夜の話(こと)。

  • ちょっと言い訳じみた話(こと)
震災後、普段よりも早くに床につくようになった。本を読むことも、映画を観ることも、なんとなく集中できない。布団の中に iPod touchを持ち込んでごろごろする。iPod touchのアプリケーションに「はてな touch」なるものがある。最近アップした記事は、そのアプリケーションで書いたもの。読み返せば、読点の振りどころや送り仮名などあきらかに変。いつも以上に読みづらくて申し訳ありません。モニター前で赤面しながら、修正している日々。アップする前にキチンと確認しろよって話(こと)。

2011-03-30

佐々木さん家の事情

今回の震災で住む場所を失った、または相当な被害を受けてしまった人の大半は、沿岸沿いから内陸へと移り住むとのこと。

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実家の近所の家は、2階部分だけとか屋根だけが、実家(うち)の裏に流されてしまっていたり、その痕跡すら無い状態だったりする。そんな瓦礫の中に実家はひっそりと建って(残って)いる。

とは言え、震災直後の1階には、贔屓目に見ても部屋数より多い畳と、畳を剥ぎ取った後に丁寧に敷き詰められた泥、漁業関連で使用されるフジツボだらけの黒やオレンジ色した浮き球、ラグビーでトライを決めたばかりの箪笥の山。すべての窓や扉のたぐいは、その頃に庭と呼んでいたあたりにガラスの破片とともに吐き出されていた。気を利かして残してくれた痕跡(あと)から判断すると、2mぐらいは一時的に浸かったと思われた。

母は、RINGS(リングス)立ち上げ当初の前田日明並に、左膝に爆弾を抱えている状態。兄は無事ではあったが、甚大な被害を受けた南の沿岸部で、思うように身動きが取れない地方公務員の立場。私の勤務する会社は、出社可能な勇士達により、震災から三日後には稼働を再開した。勝負は正味五日間と決めて、実家の片づけを始めることにした。私の住んでいる場所から、実家までの道程は片道5キロほどだったが、ガソリンが枯渇状態のために自転車で通った。

海水をたっぷり含んだ畳でオセロ、天井まで積み上がった箪笥でジェンガ、浮き球でナインボール、10センチほどの泥で棒(サッシ)倒しを、4部屋とトイレ・洗面所で筋肉痛を忘れるほどに楽しんだ。他、毎日18リットルポリタンク2つ分の水と灯油で無酸素運動、バイク(自転車)で10kmの有酸素運動で、雑誌ターザンの特集「夏までに太らない体を一週間で作る」みたいな生活をする。おかげで、以前に現UFC世界ウェルター級王者ジョルジュ・サンピエールに憧れて、熱心にウェイトトレーニングをしていた頃に、作り込んだ時の筋肉(にく)が復活した。あわせて体重も3kgほど落ちたが、歯痛に悩まされることになる。

実家のあたりは、今も電気は来ていない。先週土曜日から水は出るようになった。母は一時的に避難する場所を複数選択出来る状態 *1 でありながら、被害を受けなかった2階に寝泊まりしている。少なくとも二日にいっぺんは、風呂の日と決めて迎えに行き、洗濯物のローテーションや、必要物資などを運んでいる状態。なんでも他所に移ると、意思に反して出るべきものが出なくて、切ない思いをするのが嫌ならしい。まわりに無駄に気を使うことなく、自分のペースで生活したいのが、あえて避難しない一番の理由なのだろうと思う。

将来的には、同じ場所に家を建て直して(または改装)住む決意を固めているが、まずは携帯電話を持つことから始めてもらいたいと、次男は切に願っている。


*1:近くの避難所、私の住んでいる家、兄のアパート、自身の秋田県の実家など。

2011-03-29

フライビーンズの仕業

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先週の水曜夜。

読みかけの本を読み終えたら、なんとなく寝つくことが出来ない。寝息の合唱をくぐり抜け、天井にツバメの巣でもあるように、扉を開けて階段を下りる。
リビングに心持爪先立ちで入り、ヒーターのタイマーを切ってスイッチを入れて台所に向かう。ちょいと背伸びして吊り戸棚を開けて、市町村指定ゴミ袋で偽装した奥を右手で探る。爪先がカチリと音を立てた。無事に非常食チンザノドライの発掘に成功する。あわよくばと願いを込めた戸棚の奥に眠る、花豆(フライビーンズ)の袋を発見して小躍りする。書斎と呼ぶネコの額ほどのスペースに陣取ること23:30過ぎ。
久方ぶりに落ち着いてモニター前に座る。唯一の婿入り道具のバカラグラスを、取り急ぎ二度ほど満たす。フライビーンズを殻のまま口に放り込む。右上奥歯治療済みのスィートスポットを的確に捉える。椅子から腰を浮かしてしまうぐらいの激痛に襲われる。咄嗟に痛みを訴えるあたりを舌先で撫でてみるも、効果はたかが知れたもの。とりあえずと歯磨きをしたならば、ゆすぐ水を口に含んで酷く後悔してしまった。頼みの綱を手繰り寄せるようにして、DRIFTER(ドリフター)のディパックのポケットをまさぐる。ロキソニンを探し当てる。ロキソニンは期待通りの効果を発揮するが、結局、断続的な浅い眠りのまま夜は明けた。

先週の木曜朝。

前日まで震災の影響から固定電話がつながらなかった。朝一番にかかりつけの歯科医院へ電話を試みると、運よく通じる。しかし震災の影響などにより、通常通りの診察は出来ないと告げられる。頭の中でロキソニンの在庫数を指折り数えてから、金曜日の夕方に予約を入れる。

先週の金曜夕方。

国道に打ち上げられた船と瓦礫の山を潜り抜け、予約20分ぐらい前には歯医者に到着する。受付で保険証と診察券を青い円形のトレイに載せて差し出す。待合室のソファーに回れ右すると呼び止められる。「すみません、診察券が違うのですが」と受付の女性は、犬歯の先あたりで笑いをかみ殺しながら言った。カイロプラクティックと書かれた診察券をトレイに載せて返してくれた。診察券の色が同じだったので、色盲ではないことが確認できて良かったと思うことにした。
マガジンラックから「ENGINE」を抜き取り、ソファーに腰を下ろそうとすると名前を呼ばれた。中腰のままでひとつ頷いてから、案内されて奥の個室に向かった。診察椅子に座って、左手人差し指のささくれと戯れていたら、後頭部から歯科医に挨拶をされる。診察椅子の微妙な背もたれの角度に、弱った腹筋を酷使して必死に挨拶を返す。ここ一週間、会う人会う人にそうして来たような話をして、新しい被害の情報などを聞く。左側の出窓にぶら下がるブラインドのわずかな隙間から、バイパスにかかる橋が見える。こちら側とあちら側の風景の違いと温度差に色々と驚く。
歯科医はレントゲン写真を見ながら、「痛みを感じている部分、前に治療した箇所(ところ)なのですが、特に大きな異常は見受けられません」鼻から外れたマスクをつまみ直しながら、「ただ、今回のような震災(こと)が起こった後ですので、人は気づかない間にストレスを溜め込んでしまいます」「そうした場合、ストレスを解放するため、気づかないところで余計に歯を食いしばったり、歯軋りをしてストレスを解放しようとします。それが原因だと思われます」。鼻をすすり「一応、噛み合わせの調整をしてみましょう」と噛むと痛いと伝えたはずなのに、容赦なく赤い紙を噛ませて歯軋りさせる。「そんなにずれているわけではないか」とマスクの中でつぶやいて、右下奥歯付近を舐めるように削った(みたいだった)。「これでも痛いようでしたら、その時点で連絡ください」と頭の上で言うと、白いクロックスの音は後方に消えた。歯科助手に歯ブラシが当たっただけで痛むと伝えたはずだが、熱心に歯を磨かれた。歯痛が酷くなったのは、きっと気のせいに違いないと言い聞かせながら、挨拶をして診察室の扉を後ろ手に閉めた。
待合室で上着を羽織ろうとしたら、すぐに名前を呼ばれる。事務的に「3,090円です」と言われて、懐も痛み始めた。釣りのじゃり銭を小銭入れに入れていたら、「かわいい小銭入れですね♥」と受付の女性に言われて、心持ち痛みも和らいだ(気がした)

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久しぶりに日曜日を寝潰してしまったら、痛みが嘘のように消えた今週月曜の朝。

2011-03-27

ひかりのまち

元・椿屋四重奏(2011年1月11日正式に解散を発表)のヴォーカルだった中田裕二作品。詳細は下記コメント。涙がちょちょぎれました。

とにかく早く個人としてできる事をせねばと思い、急遽スタジオにはいり曲を作りました。新曲はまだ未完成のもので声枯れてるし、音ひっくりかえってるし、かなり聴きぐるし­­い部分もあるとおもいますが、故郷を思いながら一発録りでとにかく想いを込めました。この歌が少しでも被災地の皆さんの希望となれば幸いです。こんなことくらいしか出来­な­くて申し訳ないです。今はまだ聴ける場所も少ないと思うのですが、引き続き多くの人に届けられるよう準備します。皆さん本当に苦しい状況だとおもいますが、絶対に諦め­ない­で下さい!生きて、生きてまた喜びを分かち合いましょう! 
中田裕二

2011-03-25

甚だしい勘違い

3月11日。ざっとネットで調べてみたならば、1869年にパンダが発見された日であるとか、1990年にリトアニアがソ連から独立を宣言した日のようだ。他には、1984年に宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」が封切りしたり、1992年に自動販売機のジュースの価格が110円に値上げしたあたりが、個人的に目についた出来事。

私はもう10年近く会社の始まる1時間前には出勤している。きっかけは、定時時間を過ぎてからの業務処理は効率が悪くなると考えたから。最近だと「前業」というらしいけれど、今回「前業」についてあれこれ評論を書こうとしているわけではない。

まだ誰も出社していないフロアをまわり、バレンタインデーのお返しを配り終える。そのうちに男性社員が出社してくるが、そのような行為をする者を目にしない。恒例行事にも不景気の影響かと、真剣に考えながらコーヒーを啜る。

事務的な電子音が仕事の始まりを告げる。5分程すると、バレンタインデーのお返しの礼の内線電話が鳴り出す。そのうちの一本、「月曜に休暇を御取りになられるのですか?」と彼女は言う。「いや、どうして?」私が聞くと「ホワイトデーは来週月曜日の14日ですよね」とやぶ蚊の羽音に似た声で答える。旧いポルシェのシフト操作みたいに、糖蜜の中でスプーンをかき混ぜるような返答をして、受話器が陶器製であるように置いた。程なくしてすぐに後ろに座る女性社員からも、「すみません、ありがとう御座います」と大げさに包装されたその小さな箱を上げながら言われる。
向かいで受信したメールと格闘していた同期が、モニター脇から顔をのぞかせて、「ホワイトデーって14日だよな、14日有給でもとるのか」と言って追い討ちをかける。
今年はうるう年だから、ホワイトデーも2日早まるらしいという風評を流して、その場を取り繕った。

 ──── 3月11日の昼休みに書いていた内容(こと)。

その2時間後ぐらいには、緊急地震速報を子守唄にして、下書き保存の中で二週間ほどの眠りにつくことになった内容(こと)。ほんの数時間で冒頭の数行に記した内容に追記される出来事が発生する。以降、経過した数週間は、数十年に匹敵するような密度が濃いものだった。

いまだに停電している実家のまわりの瓦礫の影から、見上げた夜空に瞬く星が唯一の希望。

もう少し落ち着いたころに、今回のことについてあらためて書こうと思います :)

2011-03-23

安否情報

本日昼過ぎにネット環境が復活しました。とりあえず無事です。
メールなどで連絡をいただきました方々、ご心配をおかけしました。
本当にありがとうございます。
近日中に復活したいと思いますのでよろしくお願いします。
では、とりあえず...

2011-03-11

クォーターパウンダー

一度はテレビで耳にしたことのあるはずの最高にかっこいい曲です。チバユウスケのMCも最高にかっこいいです。

MC「あのさ、最近まで、あのぉーやってたさ、WBCってあったじゃん。あれのマクドナルドのぉCM って知ってる。めちゃめちゃかっこいい曲かかってたでしょ。ザ・バースデイが演ってます(ニヤリ)。くゃぉとぅぁーぱうんでゅあぁぁ(クォーターパウンダー)!!」

 

MC「あのぉー安室奈美恵って言う人知ってるか。いやーオレは好きなんだけどさ。あのぉー えーとね、今日もぉなんかなんか貰えるらしいんだわ。あのぉークォーターパウンダーっていう、ま、あのCMの曲は俺たちが作ったんだわ。ちゅぉーたぅぁーぱうんだー(クォーターパウンダー)!!」
 


ギターのイマイアキノブが脱退して不安ですが、フジイケンジ(MY LITTLE LOVER)がどんな音を出すか楽しみでもあります。

ミッシェル・ガン・エレファント解散後、idのもとになってるチバユウスケのヴォーカルで一番好きな曲「シャロン」。

 

ロックは死なない。

ひしゃげたスプーン

おふくろの味(おふくろのあじ)は、幼少期に経験した家庭料理、もしくはそれによって形成された味覚、またそれらを想起させる料理を指す言葉。
おふくろの味 - Wikipedia

「おふくろの味」の代表料理としては「肉じゃが」「味噌汁」「炊き込みご飯」あたりが上位らしい。

実家は漁業を営んでいて両親共に忙しかった。
食事は海の幸を焼くか煮るか、もしくは生か、といった、おかずが中心だった。「こう見えても作る気になれば、どんな料理だってじつは色々出来るんだよ」が母の口癖だった。育ち盛りの頃になると、食事を待てずに自然と調理する楽しみを覚えていった。今でも料理を作ることは好きだ。

肉じゃがは嫌いではないが、「おふくろの味」だからと拘るほどでもない。当時付き合っていた彼女がマイエプロン持参で肉じゃがを作ってくれたことがあった。やたらと青臭いさやえんどうを無理して残さずに食べてから、肉じゃがに入ってるさやえんどうが苦手になった。腕をふるう前に塩をふるって下茹してほしいと、今だから言えること。

幼い頃から食事の時には、味噌汁は飲まない。これといって特別な理由はあるわけでも無い。そう食事のときに味噌汁が無くてもいいヒト。どうでもいいことだが「~しなくてもいいヒト」的表現は嫌いだ。

最近、急速に進化し続ける調味料によって、「おふくろの味」の存在意識自体が薄れてきてるような気がする。手間隙をかければ「おふくろの味」ということではなく、単に調味料を使うことによって「おふくろの味」が標準化してしまったからだと思う。

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(画像でも無いと ブログとしてとてもつまらないので とりあえずそれらしい画像を載せただけで 本文と直接関係があるわけではありません)


私の「おふくろの味(家庭料理の代表)」は「カレーライス」。
これこそ既にカレールーの開発によって標準化された料理といえるが、標準化された歴史が古いせいか、その家庭独自にアレンジ(手を加えている)されていることが多い。これには添え物の種類や、添え物を脇に添えるか乗せるか、または混ぜる等も含まれる。また食べる段階でカレーをかけるか、混ぜるか、醤油やソース、コショウ、クリーム等をかける加味、これもアレンジする行為ひとつだと思う。

中高の頃、友人宅でがちゃがちゃと夜通し麻雀や、ぎゃりぎゃりどんどんとバンド練習等をしていると、ご馳走になるのは決まってカレーライスだった。廊下から階段にかけて漂ってくるカレーライスの匂いに、他人の家の匂いに対する緊張が解ける瞬間だった気がする。カレールーが水っぽくてちゃーちゃーな状態にも、友人の母親のもてなしを感じたものだった。

この間、ファミリーレストランでメニューを開いて、ずいぶん昔からカレーライスを注文していないことに気づいた。たぶん、シンプルで素朴な「おふくろの味」で作り上げられた嗅覚・味覚の判断行為なのだろうと思った次第で御座います まる

2011-03-10

十五少年冒険記

大方の様々な期待を裏切って、隣町の普通高校を受験することに決めた。記憶を辿れば25年以上前のことになる。

午後から最後の三者面談があった日。3時限目の体育のときに、別クラスの担任で体育の担当教師が授業の終わり際、皆を整列させて授業のまとめ話をし始めた。左手首の袖をめくり時計をちらりと見やってから、舌打ちひとつした後、思い出したように続けた。
「今日の午後からは、お前らの将来についてお父さんやお母さんとの三者面談だな」と言って、つま先あたりに目を落とす。
「今からどんなに頑張っても、到底いや絶対に志望する学校に入ることが出来ない場合、それを親御さんにどう説明するか、いかにスピードを殺した変化球を低めに投げれるか、これが難しいことなんだ。そう思うだろ」顔を上げて皆を見回して同意を求める。
「俺は考えた末に"お母さん、正直申し上げまして志望校を受験するのは冒険ですよ" と、後は判断を委ねることにしている。我ながらうまい表現だと思うんだ」
言ってすぐに、ガムにへばりついた銀紙を噛んでしまったような顔で「あ!! この事はB組(自身の担任クラス)のやつらには内緒な、ここだけの話な」ひとつ頷いてチャイムが鳴るのを待った。

穏やかな西日が長く薄い影を作り、そこはかとなく防虫剤の匂いが漂う廊下。共に順番待ちをしている友達と壁にもたれながら、これからの深刻な現実を意識して避けるように与太話をしていた。

友達の名が呼ばれて「じゃ」ポツリと言って教室に入っていった。並べた椅子に浅く座った自分とよく似た顔と、一瞬目が合ってしまい気恥ずかしさを感じた。

しばらくすると肩を落として友達が教室から出て来た。前で立ちすくむ息子の左肩を軽く二三度叩き、正面に座る私に似た顔をした女性に会釈をすると、友達の母は履き慣れないスリッパの音と共に廊下の角に消えた。
「どうした?」と声をかけると、綺麗に整えて十時十分を指している眉を少し上げながら、「"冒険ですよ"だってよ」と無駄に時間をかけ、丹精に作り上げた前髪のひさしを見上げて微笑んだ。私もあわせて微笑んで見せたが、真冬の朝に冷たい水で顔を洗った後のような感じだった。

名前を呼びながら、体育教師と公私共に仲が良いらしい担任が顔を出した。20分後に「これから残された時間、共に頑張ろうな」と言って担任は三者面談を締めた。

高校の合格発表の日。友達と2人で同じ高校を受験した友達の家にチャリンコで向っていた。向う先の友達の姉が、受験した高校に車で乗せて行ってくれるとのことだった。

友達の部屋には、試験会場である学校に向う道すがらで、他校の生徒と胸倉のつかみ合いになり、乱闘の既の所で皆に止められた私に対する残念ムードが漂っていた。
そんな居た堪れない雰囲気に耐え切れなかったのか、友達は他行を受験した "冒険ですよ" と言われてから、しゃにむに勉強を頑張った冒険野郎マクガイバーな友達に誘いの電話をした。

合格発表が流れるラジオに皆で耳をそばだてながら、車は3人の受験校を目指して走った。知った同級生の名前を耳で拾うたびに車中の緊張は高まっていった。
私は前出の事件(こと)があって半ばあきらめながら、流れる色の抜けた景色をぼんやりと眺めていた。トンネルに入るたび、受験のために不自然に黒い髪の毛と、シャープなもみ上げを拵えた顔が、ガラス窓に映るのを見て苦笑いした。

受験校を目の前にしてラジオで結果を知ってしまう。車が停まるのを待ちきれず、後部座席から飛び出し、規則正しく数字が並ぶ中に自身の受験番号を見つけた。無事に3名ともに合格。
マクガイバーの受験校に向う途中、ラジオは悲痛な現実をただ事務的に流した。折角ここまで来たんだから、直接行って確かめようと言ってはみたものの、マクガイバーはうつむいて「帰る」と言って「やっぱ冒険だったよ」とつぶやいた。彼を家に送った後、我々もなんとなく無言で帰路に着いた。

生まれて初めて空気の重さを実感した日だった。*1

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スイッチを入れたラジオから高校入試の話題が記憶を刺激して思い出したこと。外回りの車中に漂う空気に重さを感じて、ひとつ鼻を鳴らして窓を開け放った。


*1:その後2次募集でリベンジを果たし無事卒業した。

2011-03-09

灰色の水曜日

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彼女が先週の土曜日に38度発熱する。翌日曜日には町内の子ども会で6年生を送る会があった。彼女は日曜日の朝には熱もほぼ平熱に戻っていたが、大事を取って彼を一人送り出した。10分程経って彼は無言で帰宅すると、ドラゴンスクリューから足4の字固めを一時間間違えて送り出した父に見事に決めてくれた。

月曜日の朝。普段、子供らは約1kmほどを歩いて通学しているが、その日は「はなかっぱ」が終わる頃に車に乗せて送って行った。
帰宅すると18時30分からのピアノのレッスンのため、細君と彼女は留守なのだと思った。ただいまの挨拶に対して右足へのローキックから、左の脇腹へ前蹴りと回し蹴りの中間の軌道で三日月蹴りを放ちながら、「○○○(彼女)がゲロってママと病院に行ったよ」と右足をキャッチされてアキレス腱固めにタップしながら、彼が悲鳴に近い声で言う。
「ゲロった?」
「うん。あのねぇスゲェ咳してたら、そのうちにゲポっとして、喉もヒューヒューしてて喘息の発作かもしれないって病院に行った」
そのやり取りが終わった頃合で、奥の台所で夕飯の支度をしている義母が「学童(保育)から帰ってくるときからお腹が痛いって言ってたのよ。今日はなにかの発表会?だか、催し?があってハッスルしてダンスを踊ったとかねぇ~。そのせいかも。元気なことは元気だったけどねぇ~」と彼に目顔で同意を求めながら教えてくれた。
彼女は細君がそうであるように喘息持ちだ。小さい頃に何度か喘息の発作が出たときの嫌な感じを思い出した。

夕餉の食卓で彼とイカのくちばしを取りあっていたら、じょいふる(いきものがかり)を口ずさみながら、彼女と細君が帰ってきた。今日踊った曲は自ずと理解できた。
「なんかねぇ吐いたら楽になったみたいで、この通り」たしかにその通りだった。「喘息のヒューヒューも病院に着いた頃には大丈夫だったし」と困惑顔の細君。
翌日あらためて診断とのことだが、とりあえず切羽詰った状況ではないようなので、ひとまず安心した。

細君と彼女が二人並んで夕飯を食べ始めた。そのうちに彼女が体を痒がりはじめる。小さな白い背中に降り始めたばかりの雨粒に似た赤い湿疹。「病院に行っている時は出てなかったのに、なんでぇ?」と細君。
彼女は細君がそうであるようにアレルギー体質。それは「くるみアレルギー」。
細君と義母の2人して経験上での診断を下そうと、議論しているもとで黙々とご飯をぱくついている彼女。
茶の間からテレビの音に負けじと「今日、学童(保育)でくるみ入りのケーキとお菓子出たよ」と彼の声。「○○○(彼女)も食べたっけよ」
「あんた、学童(保育)にくるみアレルギーの事言ってないの?」「入所アンケートに書いてあるし、先生も知ってるはずだけど」とやり取りをしている間に、学童保育で配られて食べ残したお菓子を彼が差し出す。
そのお菓子を細君は無言で口にして、しっかりと咀嚼した後に「くるみバリバリ入っているしぃ」
アレルギーの症状で全身蕁麻疹は勿論のこと呼吸器症状も出るらしいから、牧瀬里穂じゃなくてもヒューヒューしちゃうらしい。ため息の月曜日。

何もなかったように 雲は流れていくさ 灰色の水曜日よ。



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2011-03-07

Неделька 28-6

< 月曜日 >
  • 「エグザイル/絆」「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」のジョニー・トープロディース作品
  • 序盤の乾いた緊迫感漂う雰囲気が中盤ぐらいから湿っぽいお約束な展開になってしまうし、せっかく追い詰めた主犯格も結局自滅して色々と残念
  • 雨降りで皆が傘を差して歩く中を犯人を捜すまわるところは「冷たい雨に~」で似たようなシーンを見た気がしないでもない
  • あいかわらずラム・シューは終始食べてばかり
★★★☆☆


< 火曜日 >
  • 「母なる証明」を観る前にポン・ジュノ監督作品の復習
  • 実話に基づくフィクション作品。1980年代の軍事独裁政権化での韓国が舞台。警察による犯人のでっち上げ、誤認逮捕、拷問による自白の強要、観ていてイライラが募る
  • 重いテーマをコミカルな部分を交えながら丁寧に作り込んだ秀作。ラストは色々と切ない
★★★★★

< 水曜日 >
  • 「殺人の追憶」を観た後前に観た断片的な記憶をなんとなく寄せ集めたくなって2度目ぐらい。「エンゼルハート」で「セブン」な感じの雰囲気だがまったくの別物
  • バイオレンス描写がエグいとかグロ注意だとか目にするけど個人的には気にならなかった
  • 廊下でのスパルタンX的な横スクロールでのワンカットは圧巻
  • 色々な意味でそこはかとなく痛い情愛劇場。これもラストは色々と切ない
★★★★☆

< 木曜日 >
  • 「エグザイル/絆」の次で「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」の前で「天使の眼、野獣の街」の前にあたる劇場未公開のジョニー・トー監督作品
  • ド派手に銃撃戦は無い。もちろん誰も死ぬことは無い。ラム・シューもパイプをふかすことはあっても食べてるシーンは一切無い
  • この作品でも雨の中で傘が踊る雑踏の中のシーンは印象的。繰り広げられるスリ合戦は銃撃戦以上にスリリング
  • ヒロインがちょっと残念
★★★☆☆

< 金曜日 >
  • 気づけば絶賛韓国香港映画ウィークな勢いで観たナ・ホンジン監督の長編デビュー(!?)作品。前に気分的に乗れずに途中リタイヤした作品
  • すべてむき出しな感じで色々と生々しい。特に殴打音とかリアルすぎる
  • 雨の中を走る車の中で、助手席で子供が泣きじゃくり運転席で主人公の男が隣で電話している。お互いの声は聞こえない、そのシーンが印象的
  • まだ救いがあると思われる切ないラスト
★★★★☆

< 土曜日 >
左右の足のひとさし指と中指がしもやけであることが発覚。
血行障害を克服するためにアルコールが消費された夜。

< 日曜日 >
  • 寝おち、今週持ち越し
  • 結局、この作品も今週に持ち越し

2011-03-01

油断してしまいがちな時期

2月は会社の年度末で色々ばたばたしてる。さらにこの時期にボスも事前アナウンスも無く引退宣言。頭をもがれた蛇のようにじたばたした状態だが、世紀末が来る感じではない。*1

先週の春めいた陽気は、週があけたら一転してコンクリートの壁で擦った発泡スチロールが舞うような空模様。

昨日今日と年度末恒例行事とも言える実地棚卸。薄暗くカビ臭い倉庫の中、かじかむ指先で必死に電卓を打ちながら舌打したり。トイレで寒すぎてキャラメルコーンみたいな状態に幼い頃を思い出したり。

そんな最近、まわりくどい比喩表現と丹念に磨きぬかれた台詞回しを欲してしまい、再読したり、あらためて積読した本。



矢作俊彦と原りょうと村上春樹でレイモンド・チャンドラーについての対談を実現して頂きたいと切に願う。

さて真理をつかむために勇猛心をふるいおこして倉庫に戻ろう。


*1:by.シブがき隊「NAI-NAI 16(ナイナイシックスティーン)」。