2009-11-25

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カモメとウミネコの違い


高校三年生の時の担任は、英語の担当教師で仲本工事に良く似ていた。

彼の日常会話は、英語のアクセントなのか、イーデス・ハンソンよりか、ダニエル・カール寄りではあったが、彼が日本人である以上、それは違和感以上のなにものでもなかった。

意識してかどうか定かでは無いが、語尾の母音を妙に延ばしたしゃべり方をした。
素人が武田鉄矢のモノマネをするような感じで、「こりゃぁ~ だぁ~め だろぉ~がぁ~ しょ(そ)んなことしちゃ(た)らぁ~...」となどと注意する。その度、不自然に舌は丸まったり、ひしゃげたりした。
ちょっと離れたところで聞いてると、岸壁に車を止めて昼寝でもしようかというとき、突然「みゃーみゃー」と鳴くウミネコの煩わしい声にしか聞こえなかったりした。

それほど、英語(発音)に自信があった。        ...はず。

高校三年生の修学旅行は、奈良・京都方面だった。
12月で確か 2泊3日。2日目は京都泊で確か 18:30~21:00まで自由行動だった。

皆が新京極にドラえもんの如く浮き足立って出掛ける中、なぜだか私と友人は、担任の部屋で正座していた。
自由行動の時間を惜しんで、京都の文化を正座して体感していたわけではなく、みゃーみゃーとありがたいお説法を聞きながら、若気の至りを体感していただけだった。
そして皆が繰り出した30分後の19:00、私と友人、そして担任の3名は、ホテルの玄関を後に新京極に向けて歩いていた。アフター無しの同伴。厳密には友人が一緒だから、同伴とは言えないが、だからと言って別にそこに拘る必要もない。

12月の新京極は、赤、緑、白、多種多様な制服と音楽、そして雑多な会話が行き場を失って溢れかえっていた。

友人達を探しながら、とりあえず新京極の中心部まで進んで足を止めた。
足を止めるのと同時に、スチール棚の高さと横幅をあわせ持ち、作られた笑顔を顔に張り付かせているが、京都の冬を思わせる底冷えのするような目で、両胸に原型はトナカイなのであろう動物の間延びした柄の入ったカウチンセーターを着た、白色に近い髪の毛を毛糸の帽子からちょっとのぞかした外国人が、色のついたA5サイズ紙の束を大事そうに抱えて近づいてきた。
プロレスラーばりの体躯をした彼は、私と目が会ったタイミングで口を開いて白い息を吐いた。
「彼は英語教師だ。用件は彼が聞いてくれるはずだ」と、私は右手親指で肩越しに後ろに立つ担任を示した。
折角の国際交流のチャンスを担任に譲ってやった。正直、みゃーみゃー説法後に布教活動の話を聞くだけの余裕を持ち合わせていなかったからだ。ゲップがいつまで経っても止まらないであろう。
スチール棚な彼は「A Ok!」的な表情を見せ、後ろにいる担任に大きな体を向けた。
「こんばんわぅ、すみません、ちょとお時間いいですかぁ~」と、スチール棚が担任に話しかけるのを背中で聞いていた。にわかな期待に
耳を
背中をそばだてた。

「あぁっー ダメダメ、ごめんなさい。今、時間無いの。ごめんなさい」

慌てふためいている担任が手に取るようにわかったが、なぜに?英語で会話を交わさない、いや相手が日本語で話しかけたからだとしても、なぜに?みゃーみゃーまで鳴りを潜めさせている。出し惜しみする必要は無かろう?
振り向いたときには、互いに目顔で左手を上げていた。私もスチール棚と目が合ったので、思わずポケットから左手を出した。
担任は、私と友人の目線を巧みにかわすように背を向け、傍のイルミネーションを何気に見上げてしまった。同時に私は英語教師として見下げてしまった。

コチラに歩いてくる友人達 3名を発見した。
友人達が来るのを何気に見ながら待っていたが、前を歩いている集団の一人と目が合ってしまった。

瞬間的に副腎髄質でゴングの音が聞こえた。

京都新京極通り交戦規則。
  • 警告放送。

    • 相手)関西弁で「なにメンチ切ってんじゃ!われぇ!」。私のつま先から顔までを 5回/秒の速さで相手の顔は激しく上下した。その勢いで首がもげたら、勢いそのままに大気圏を突破できそうだった。

  • 示威行動。

    • 私)「ぬぁーにぃーっ!こ(お)らぁ!」。最初の「ぬぁ」を恥ずかしいぐらい声が裏返ってしまったことを後悔しながら、物理的に可能な範囲で眉根に皺を寄せて、相手のつま先から顔までを 6回/秒で相手を上回る上下運動速さで詰め寄った。

  • 警告射撃(胸倉のつかみ合い)。

    • このタイミングで友人達が止めに入る。大概、それは相手も同様。友人達が止めてくれる(はずだ)から、安心して虚勢をはれるということ。このタイミングを誤ると撃破。そして最悪の場合は開戦ということにある。
FBIだか、CIAに捕獲された宇宙人状態で、強引に相手に背を向けさせられた先に担任の姿が目に入った。
ライトパターソン空軍基地に強制的に移送されることを覚悟した。
しかし、担任は背を向けて傍のイルミネーションを未だ見上げていた。
単に騒ぎに気づいていないか、騒ぎに気づかないふりをしているかだった。そして後者であることは間違いなかった。
これ以上、関わり合いにあるのはご免だと向けられた背中が、不自然極まりない角度を示していたことで、それは理解できた。

「先生」と声をかけて右手を上げると、担任は喉を鳴らして不自然な角度で振り向き、ひとつ頷き何かを口の中で言いながら、下手な笑顔を作って踵を返して歩き出した。

先日、高校卒業して以来、約20年振りに担任に偶然会った。

目が合って会釈したら、覚えていてくれたらしく近寄って来て話しかけてくれた。
流石に警告放送・示威行動などは無かった。
近況など短い時間であったが話した。ただ話す中で最後まで私の名前を口にしなかった。
しかし名前を思い出そうという一生懸命さは、こちらが恥ずかしくなるぐらいに感じられた。
色々な意味で約20年前と変わっていなかった。
そしてみゃーみゃーは相変わらずでなんだか安心した。

担任に対しては、今はただ高校を卒業させてくれた事に本当に感謝している。

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