2009-10-02

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アコーディオンと学生時代とポマード


先日、吹き出物治療をした際、展示品を通してその頃の思い出に熱があるわけでも、ましてやアルコールが体内に入っているわけでも無いのに色々な意味を含め、思わず頬を赤らめてしまった。

襟巻きを広げ威嚇するそのトカゲのような形態をしていた中学生の頃の思い出。
決して無駄ではない部分の毛を処理してしまっていた頃で、それは左右の髪の生え際だったり、今でこそ市民権を得た眉毛であったりしたが、それは悲しいかな平安時代の麻呂的な眉であったり、前方へ突き出せば突き出すほどに波動砲の威力が増すものだと信じて止まないヘアスタイルだったりした。

そんな威嚇形態を恥ずかしいとは思ってはいない。
むしろ、年上の女性に対する沸点を超えた熱い想いや憧れと、日々の自家発電回数記録更新と同様に、その頃の男子にとって標準装備では無くとも簡単にオプション選択できるような時代だったからだ。

学校の先生もフィーバーな先生が多くて、嵐を巻き起こすこともしょっちゅうあった。
先生による体罰が普通の時代だったと思う。
体罰は古くより「注意をしても聞かない・もしくは理解できない」という子供に対する教育的な指導と認識されていた
体罰 - Wikipedia

少なくとも体罰が虐待と表現される時代では無かった。

円楽師匠の訃報を伝えるニュースを観ていて思い出した、中学一年生の時の担任の先生。

当時、学年で「ビンタ」能力に長けた先生は必ず一人二人はいた。そして担任はその一人。
円楽師匠のようなポマードで後ろに撫でつけたオールバックのヘアスタイルで、全体が濃い茶色で上部から下部へグラデーションがかかっているメガネをしていた。眉根には常に深い不快な2本の縦皺が入っていて、180cm弱で結構な長身。一見すると その筋の方に見えなくもなかった。
地理と美術担当で特技はアコーディオン演奏。
必ず、帰りの会にアコーディオン演奏で「学生時代」を歌わされた。
前述の風体でcobaなみにノリノリで演奏するんで、生徒達は正直たまったもんじゃなかった。

そして先生(カレ)の朝礼で行われる公開処刑さながらの、公開ビンタという名の体罰は定例化されていた。
勿論、「注意をしても聞かない・もしくは理解できない」という正当な理由があってのビンタだ。

全盛期のジャンボ鶴田はバックドロップの際、相手の力量によって落とす角度を変えていたらしいが、カレのビンタは男女分け隔て無い力加減で容赦なく放たれていた。
カレの右手で放たれたビンタを喰らい、その勢いで回れ右状態(180度反転)になり、思わずそのまま席に戻ってしまって、その態度について注意された上で更に二発目のビンタを浴びる男子もいた。
冬場に女子に放ったビンタで、鼻水が130cmほど飛ぶところを目撃し人体の神秘を目のあたりにしたこともあった。

そんなカレは、対私にとってリーディング・ヒッター(首位打者)であった。当時の私の持ち球は、カレにとって容易くヒットにすることを可能にした。無論、ホームランもリーグナンバーワンだった。
しかし、私は打ち続けられても、凝りもせずに自身の投球スタイルを貫き通した。

そんなある日、何事も無く朝礼が終わった日があった。終わると一斉にクラスのみんなが不思議そうに私を見た。

140km台後半の直球を外角低めに集め、最後に内角に100km台のスローカーブを投げて空振りさせた、そんなしてやったりな気分だった。
が、程なくして審判がファールボールであるゼスチャーをした。
カレは一旦閉めた戸を開け「10分後に職員室へ来るように」と、そのファールボールに対する説明を球場内にマイクで説明したかのように言い放った。

10分後には意味がある。1時間目が始まるのがちょうど10分後だった。

皆が1時間目の準備をする中、私は職員室に向かいカレの席を目指した。
1時間目が始まっているので、職員のほとんどは授業に出払っていて、職員室は閑散としていた。

カレはちょっと私のほうへ目だけを向け、「そこに正座しろ」と言った。
座ろうと屈むと同時に、カレはイスをゆっくりと90度回転させて私のほうを向いた。
右ひざをたたんで正座しようとした瞬間、「靴のつぶし履きを直せ」と右足で左肩を蹴られ、ちょうど一歩分後退して尻餅をついた。
靴を直して後退した分の距離をつめて正座した。

正座をさせる理由は、イスに座っている他の先生から見えないようにするためだ。苦手打者の考えることはお見通しだった。

「今日、呼ばれた理由はわかるか?」と聞かれた。
呼ばれた理由が多すぎて一つに絞ることも出来ないし、そしてそれはほんの一握りのことかもしれない、まして墓穴を掘る可能性もあり返答に困っていた。無駄な時間が過ぎていった。
「わからないのか!」左足で右肩を蹴られ、スイッチが押されたように「わかりませんっ」と瞬時に言葉が出てしまった。

「俺より高いポマードを使うな!」

19年ほど前にカレの訃報を聞いた。
当時カレの使用していたポマードは未だに分からぬままだ。
これからも知ることは出来ないと思うと非常に残念で仕方ない気持ちになる。

 
D
 
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2 件のコメント:

  1. 高校時代の担任が、ホームルームが始まるや否や、私の隣の男子を立たせて、
    「お前、昨日、○○のパチンコ屋にいたな?」と、問いただし、友人が、
    「はい、すいませんでした」と言うか言わないかのタイミングで、
    「あの台は俺の台だ!お前は違うところで打て!」
    といったことを思い出しました。
    ちなみに、友人は前日その台で5万くらい勝っていたそうです。

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  2. 店長、コメント有難うございます。
    昔、結構理不尽極まりない先生ばっかりだったんですが、それはそれで
    先生の魅力のひとつだった気もします。
    先生に限らず、色々なものから個性が失われているような気がします。

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